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傷痍軍人の悲喜劇 – 井伏鱒二『遙拝隊長』(1950)

井伏鱒二『遙拝隊長』(1950)

「ばか野郎。敵前だぞォ、伏せえ」

 元陸軍中尉の岡崎悠一は、通りすがりの人々に誰彼と見境なく、突然、怒鳴りつけ、戦時中さながらの号令を発している。彼は、戦争がいまだに続いていると錯覚している。。。

 この作品は、昭和25年(1950)、戦争の記憶もまだ生々しい頃に書かれている。負傷して帰還し、戦後、生活の立ち行かなくなった元軍人が日本のそこら中にいた時代だ。この作品もそうした元軍人のひとりを題材にしている。もちろん話自体は創作だが、元となった出来事は実際にあったようだ。井伏氏が新聞記者から伝え聞いた話が元となっているらしい。

 元将校の岡崎悠一は、戦争中に戦地で脳挫傷を負い、除隊して郷里の村へ帰ってきた。彼の言動は、この脳挫傷以降、徐々におかしなものになっていく。
 それでも戦時中は、郷里に帰ってきた元将校ということで、村人たちからも一目置かれていた。戦地と郷里を混同したような彼の奇行も将校としての心構えだとして、むしろ敬意すら払われていた。だが、終戦を境にこの状況は一変する。
 彼の奇行は、ますます悪化した。そして、周囲の彼に対する反応も極めて冷ややかなものになっていった。

 井伏鱒二は、この元将校が田舎村の小さな集落で巻き起こす騒動をいささか滑稽に描いている。彼と村人たちとのやり取りは、非常にユーモラスだ。ドタバタ喜劇を見ているような可笑しささえある。
 しかし、ここで見逃してはならないのは、元将校岡崎が軍隊式の時代錯誤な奇行を行えば行うほど、当時の人々の間にある意識や価値の分断が、より鮮明になって浮かび上がっているということだ。

 岡崎に陸軍式の命令で絡まれた若者は、彼をこう罵る。

「軍国主義の亡霊じゃ、骸骨じゃ。」「化物め、ファッショの遺物」

 敗戦後、人々の意識は、180度回転した。自由と民主主義が標榜されて、戦前的な価値観はそのほとんどが、軍国的、封建的なものと見做されるようになった。
 終戦の事実を理解できない岡崎は、世の中の急激な意識の変化に取り残された。彼の姿は、滑稽であると同時に悲劇だ。彼は、村の迷惑者だが、彼自身もまた戦争の被害者なのだ。

 だが、井伏氏は、この元軍人の姿を戦争の犠牲者として悲劇的に描いているわけでもなく、また、当時の一つの逸話として風俗小説として描こうとしているのでもない。
 心理描写にも深入りしない。社会風刺や倫理的な批判といった趣は全く抑えられている。ただ、滑稽な情景を淡々と描いていく。

 そして、この描写の中にこそ、鋭い社会批評の視点が含まれているのだ。ここにこの作品の比類ない価値がある。
 淡々とした情景描写。そして、時には滑稽なものとして描かれている元将校の姿。しかし、そこには、当時の人々が抱えた葛藤や悲しみを窺うことができる。