川端康成『散りぬるを』(1934)

 初出は、1933(昭和8年)年。

 5年前に殺された二人の若い女性―――
 ある作家が、二人への感傷的な思い出を交えながら、事件の訴訟記録をもとに、犯人の心理を推察していく、という話。残された記録から犯人の精神状態と犯行の動機を探っていく。
 しかし、それは多分に作家の想像力を交えたもので、決して科学的な真実を探ろうというものではない。むしろ、作家にとって、この二人の死が意味するものを探ろうとしているように見える。

 作中の女性二名の絞殺は、昭和3年に実際に起きた事件で、川端は当時の調書、公判の記録、精神鑑定書をもとにしてこの作品を描いている。作中の犯人山辺三郎の供述は、実際のものをほとんどそのまま引用している。
 (ちなみに、昭和3年、川端自身が物取りに入られ、犯人と遭遇している。事件そのものは未遂に終わった。)

 実際に起きた事件を題材とし、当時の資料をもとに虚構の精神世界を構築するという、川端としては非常に実験的な作品。近代刑法に基づく犯人の精神鑑定という資料がまだ珍しかった時代だ。

 作品は、作家である「私」の一人称で語られていく。この作家は、二人の身元引受人だった。二人は、滝子と蔦子という。滝子は作家志望で、この作家の元へ弟子入りに来ていた。滝子に比べ、生活力のない蔦子に「私」はより愛惜を感じていた。この蔦子は孤児で徳島から家出してきたところを預かっていた。

 この作家の二人への愛情というのは、まったくの性愛的なものだ。ふたりを妾(愛人)として囲いたいという類いの欲情で、それが突然の犯行によって奪われたという口惜しさを自分の妻へ平然と口にしている。
 5年も経ってから急に当時の資料の書き抜いたものを取り出しながら、犯人の心理を推察しだした「私」の動機は、作品からはよく見えてこない。精神鑑定まで要請されたこの犯行について、犯人の心理像を構築してみたいという作家特有の創作意欲だったのかもしれない。
 この作家は、正常であるよりも狂気(精神異常)による犯行の方が、はるかに罪が重いという考えを持っている。これは、当時としてはある意味一般的な考え方だっただろう。

 一方、犯人の山辺は、事件当時の詳細を雄弁に語る割には、要領を得ない。確かなのかと念を押されると、そうだとも違うとも、分からないと答える。

 犯人の供述から浮かび上がってくる事件当時の様子は非常に奇妙なものだ。この事件の奇妙さは、作品全体の基調につながっている。

 この作品に感じる奇妙さとは、犯人に動機が全くなく意思混濁の中で、まるで世間話でもしに来たかのような調子で二人を殺していること、殺された二人も何の抵抗も示さず、殺されることを何の疑問にも感じないかのように自然に受け入れていること、そして、犯人の心理を考察している作家が、犯人に対する何の怒りも覚えている様子が見られず、殺された二人への悲しみもほとんど示していないことだ。
 作品全体に流れている基調は、全てが自然に起きたものという諦観のようなものだ。

 現実に起きる出来事というものに必然も偶然もなく、当事者の意思や意図を読み取ったとしても、起こる出来事に何の違いももたらさない―――
 そうした虚無感のようなものをこの作品は、現実の資料から推察される事実としても、虚構として築かれる小説としても示そうとしているように思える。

「被告だって、小説をしゃべらされたんだ。警察官にお前はこうしたと言われると、そうのような気がする、そうでないと否定ができない、そのうちにそうだという(頭が出来てしまう。)と言っているのは、調書のなかで一番確かなほんとうだろう。」

 作家のこの言葉が、もっとも雄弁に著者の諦観を物語っているように思う。空しく殺されていった二人の若い女性の無念を諦観のようなもので受け入れている精神を『散りぬるを』という題に込めたものだろう。

新潮文庫『眠れる美女』所収

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