舞台は、東京鎌田、六郷川沿いにある産婦人科医院。戦災で焼けた医院を立て直して、新たに再出発した。
医師の八春は、甥の伍助に院長の座を継がせて病院経営を任せている。自分は後見人に退いた。が、なぜか院長の伍助よりもはるかに忙しい―――
終戦間もなくの下町風情を描いた風俗小説。作品の発表後、すぐに映画化され、今までに何度も映像化されている。
井伏鱒二は、ごくありふれた庶民の生活を切り取り、描くのが非常にうまい。
この作品もまた、終戦後すぐの荒廃した街の中で、したたかに生きる人々の暮らしを「飄々と」描いている。
開業1周年の記念に家族と看護師は旅行に出かけていった。留守を預かることになった八春先生は、「本日休診」の看板を掛けたはずだった。が、訪れる患者は絶えるわけではなく、急患の依頼まで舞い込んできた。。。
この物語には、これといって特に話の起伏があるわけではない。ひっきりなしに訪れる患者と次から次へと舞い込む呼び出しの依頼。それに淡々と対応していく八春先生の日常が描かれる。
空襲によって焼野原にされた東京。復興はまだ緒に就いたばかりの頃だ。周りはまだ戦後の荒れた雰囲気を残していて、世相は暗い。人々はまだ貧しく、貧しさゆえに人心もすさんで治安も良いとは言えない。
そうしたくすんだ世の中の雰囲気は、直接描かれることはない。しかし、この医院を訪れる人たちが如実にそれを物語っている。
暴漢に襲われたもの、路地で体を売っているもの、手術代や入院費を払わないもの、川の岸辺に泊めてある砂礫(じゃり)船に住むもの。。。
しかし、この医院の八春医師と患者とのやり取りには、そうした世相の暗さを感じさせるものがない。むしろ作品自体は非常にユーモラスだ。
例えば、急患の呼び出しに応えて、砂礫船へと向けう場面。。。
六郷川の堤に出ると、先生の捜す目標がすぐにわかった。川岸に舫いしている四艘の砂礫船のうち、一ばん手前の一艘の舳に、先端に白い布をつけた竿が立ててあった。先生は風に吹かれながら堤の上を歩いて行った。その船の腹に、黒ペンキの拙い字で「吉平丸」と船名が書いてあった。船ばたと川岸が離れていて、渡れない。船の上には誰もいなかった。
先生はその船に声をかけた。
「おい、吉平丸。おうい、ちょっと橋を渡してくれないか。留守なのかね」
船の穴ぐらから、ひょいと四十男の顔がのぞいた。
「病人のいる砂礫船というのは、ここなんだね。こちらは医者だ」
「やあ、左様ですか。どうも御苦労さん」
住む場所もなく、船の中で暮らす家族。当然診療費も払えるはずもなく。。。それでも頼まれればすぐに駆け付ける八春医師。彼には特に気負うところがない。医師としての使命感に燃えているわけでもない。ただ患者がいるからそこに足を運んだに過ぎない。全てがただの日常なのだ。
名付け親となった子供が母親とともに16年たって押しかけてくるあたりが、この作品の最も物語らしい部分だ。
この子供、春三は八春先生を慕って、勝っ手見習いのようなまねごとを始める。八春先生は手伝いなど要らないと言いながら、春三の好きなようにさせている。
物語は最後、診療費が払えなくて診察を拒んでいた酒場勤めの貧しい娘、町子の死によって静かに幕を閉じる。
その成り行きを見守る八春先生の目には、善も悪もなく、悲しみも怒りもない。日常という時の流れがあるだけだ。庶民の生活というのはそういうものだ。
そこに物語としての価値を見出すところに井伏作品の面白さがあるのだと思う。