井伏鱒二 短編作品 その2

『追剥の話』

 とある村の寄り合い所(共同作業場)。敗戦から2、3ヶ月が過ぎて追剥や強盗が増えてきたというので、各集落で集まって対策を練っている。「盗難対策提案緊急会議」と戦時さながらな大仰な名前が付けられている。

 集まった人たちは部落会長の指名で一人ずつ所見を述べていく。話している本人たちはいたって真剣なのだが、事態の深刻さはどいうわけか全く伝わってこない。

 。。。追剥が『お前らの、自転車に積んどる荷物を、儂にくれえ』と云うた。荷物は苦労して手に入れた魚の干物じゃ。『みなまでお前にやるわけにいかん、半分やろう』と云うと『半分でもよい、くれえ』と云うて、追剥が自転車の荷の紐を解きだした。これがつまり話せばわかる、ききわけのあったことじゃと儂は思うが、荷物を解いておる追剥の横合いから、後月先生が不意に追剥の膝を蹴ったので、追剥が『いた、たたたた』と云うところを、草田先生が後から池の中へ突き落した。追剥は泳いだり岸につかまったりしておったそうなが、草田先生は『儂らは、もう帰ろうや』と云うて、後月先生といっしょに帰られたそうじゃ。それで儂が『見事なものでしたなあ』と感心すると、草田先生が『いや、あの追剥は人間が甘いのでしょう。自分が甘いから、人まで甘いと思うて、人を舐めおったのでしょう。ちょうど、誰かに似ておらんですか』と云われたので、儂も誰のことだろうなあ、とつくづく考えたこってす。

 戦時中の自分の不当な扱いについて愚痴る老人。人間性に基づいた社会改革思想を滔々と述べる女性。追剥の身の上話を聞いて親しみを感じてしまった兵隊帰りの青年。などなど。
 みな話は横道に逸れるし、近況や身の上の話が多くて、一向に議論している雰囲気にはならない。

 ただ、人々の話から当時の追剥の状況は窺える。
 大半の追剥が、にわかに始めた輩。
 復員者が追剥として疑われやすい。
 盗んでいくものは、干物。
 追剥がまた別の追剥にあい、その追剥がまた別の追剥にあう。

 結局生きるのに必死な人たちばかりで、根っからの悪人というのが出てこない。だからこの「緊急会議」も身の入ったものにはならない。いつしか雑談の会になってしまった。
 終戦直後、昭和21年(1946年)の作品。

『因ノ島』

 昭和23年の作品。
 広島疎開中、瀬戸内海に浮かぶ小島「因ノ島」に釣りに出かけた「私」。地元の中田医師と共にモーター船で釣りに出かけようとしていると、この島の警察署長が来て船を貸してくれと頼んできた。理由をはっきりとは話さない。モーター船は島に一隻ほどしかない。
 しかし、中田医師は署長の理由を十分察していた。

私が浴衣にきかえてくつろぐと、中田老人は「ところで、いまのお芝居ですが」という前置きで云った。
「あの署長さん、明日は闇船をつかまえるつもりです。きっと、よその署から電話をかけて来たのですな。それを明らさまに云えないので、苦労の汗をかいておった。私がそれを知っておることは、先方でも知っておって、それでも知らぬ顔をしておる。警察官たるものは、まさにかくあるべしですな」

 結局、翌日、署長が釣りに同伴することで話がまとまった。当然の流れとして、二人は闇船狩りに付き合わされることになる。捕縛した船員をこのモーター船で送り届けたいと署長が言うので、中田医師と「私」は拿捕した帆掛船で釣りをしながら待つことになった。

 この釣りの帰り、私は署長から酒の席に誘われる。誘われるがままに酒屋へ行くと、署長は芸者を呼んで歌と踊りで大いに騒ぎ散らかした。私が酔って馬鹿騒ぎの中心になるころに、署長は酒宴を抜け出し、隣の建物で闇賭博か何かの賊たちを十人前後ひっ捕えていた。
 署長が酒宴を演じることで、隣の賊を油断させていたものらしい。私は、またしても署長の捕り物に利用されたのだった―――

 この話は実話だろうか。作者の体験談のようにも思えるし、話が出来過ぎているので、井伏鱒二がよくやる手法として、聞いた話を脚色したのかもしれない。

 剛胆なだけでなく、緻密に計算された行動をとるこの一角の署長。戦前、戦時中は、こういう豪放磊落で、凄腕の警官は多かったのかもしれない。創作のようでもあり、実際にもいそうな微妙な線の人物だ。しかし、片田舎の小さな島にこんな警官がいたら、それに付き合わされる方はたまったものではない。「私」は釣りを早々に切り上げて、島を出て行くことにしたのだった。

『丑寅爺さん』

 村落で畜産業を営む老人。子牛を買ってきて、立派な堂々たる牛に育てている。本名は、虎吉というが、牛飼いが大変上手いので丑寅とあだ名されている。
 地元の品評会でも入賞し、新聞の記事にもなった。丑寅爺さんの種牛は、引く手あまたの人気で、種付けの依頼が後を絶たない。商売上々といったところだ。
 が。
 この丑寅爺さんには東吉という息子がいる。この息子が種牛業などみっともないからやめろという。
 畜産業を営む父親と親の職業に対して無理解な息子。まぁ、よくある親子喧嘩。価値観の違い。世代間の対立。

 しかし、面白いのは、この息子の言い分だ。

「わしは今日、炭の仲買人から、どえらいことを聞いて来た。なんちゅう浅ましいこっちゃ。隠すより顕わるるは無し。――こっそりと森のなかに牛を連れて行って、料金とって牛の種つけをする。それを知っても、お前は知らぬ風しておったげな。人にかくれて牛をつるますは、不義密通するようなものじゃ。これが我家の家宝なのか」
「こら、聞き棄てならん」
 と爺さんが、夜なべで造りかけていた草履を土間にたたきつけた。
「もう我慢ならん。一家乱脈とは何じゃ。ましてや不義密通とは、よくも吐ぬかしたな。牛の種つけが、何で不義密通じゃ。これを譬えば、蜻蛉がつながっておるのを森で見て来れば、その人間が不義密通したことか」

 一体、どういう言い分なんだ。まぁ、親の職業を恥ずかしいと感じるのは、よくある心理だろう。
 しかし、この時代の農村の貞操観念というのは、ゆるいのか厳しいのかほんと良く分からない。
 昭和25年の作品。

新潮文庫『集金旅行』所収

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