川端康成『片腕』(1964)

 ふと私には、この片腕とその母体の娘とは無限の遠さにあるかのように感じられた。この片腕は遠い母体のところまで、はたして帰りつけるのだろうか。私はこの片腕を遠い娘のところまで、はたして返しに行き着けるのだろうか。

 ある若い女から片腕を借りてくる物語。
 
 片腕を借りてくるという奇妙な主題は、何かの象徴ではなく、また、暗喩や寓意を表したものでもないだろう。おそらくこれは、著者の心理をそのまま描いたものだ。(執筆当時の川端は、慢性的な片腕の痺れに悩まされていた。また睡眠薬の多量服用で中毒症状にも陥っていた。)
 この作品は幻想的な官能の世界を描いているわけではない。非現実的で官能的な夢想としてしか異性を理解できない初老の男の心理をそのまま描いている。この作品は、心理小説として読むべきものだと思う。

 この作品で描かれているのは、異性との全人格的な関係性を築くことに挫折した、あるいは拒絶された「こころのびっこ」である「私」が、女性の肉体の一部を通じて、異性との幻想的でロマン主義的な関係性を再現しようと夢想している姿だ。

 その証拠に、「私」と娘の片腕との関係性は、肉感的なものではない。そこには精神的な交流が描かれている。心を許し合った恋人同士が、たわいない会話を楽しむように、感情の交流が行われている。

「くすぐったいわ。いたずらねえ。」と娘の腕は言って、唇をのがれるように、私の首に抱きついた。
「いいものを飲んでいたのに……。」と私は言った。
「なにをお飲みになったの?」
「………。」
「なにをお飲みになったの?」
「光りの匂いかな、肌の。」

 腕は、たった一晩、借りてきただけのものだ。腕を貸した娘との関係も極めて表面的で薄いものでしかない。しかし、私と片腕との間には、自らの命をかけても構わないというほどの信頼が存在している。

 娘の腕との添い寝に飽き足らず、自らの鼓動とその片腕の脈拍の一致することに歓喜を覚えた私は、自らの腕と娘の腕を取り替えることを夢想し、無意識のままそれを実行してしまう。

 娘の腕は、それを拒絶することなく受け入れる。そして、私の不安を取り除くために魔除けをしてあげると言う。自分の体の一部となった娘の腕は、指の間から何が見えるかと聞く。

「なにの幻を見せてくれたかったの?」
「いいえ。あたしは幻を消しに来ているのよ。」
「過ぎた日の幻をね、あこがれや悲しみの……。」
 娘の指と手のひらの動きは、私のまぶたの上で止まった。

 「私」は女性を人格として愛することができない。女性は、あくまで肉体的、官能的な欲望の対象だ。
 自分に身を任せた過去の女の心理を全く不可解なものとして回想する場面では、肉体的官能に溺れることにもできずにいる「私」の心理が示唆されている。あるいは、初老に差し掛かり性の衰えを自覚してか、肉体を通じた関係性に飽き足らなさを覚えているだけかもしれない。いずれにせよ、そこにあるのは関係性の虚しさだろう。

 「私」は、娘の片腕と自らの体が一体となることで初めて、異性との間の精神的な結びつきを実感したのかもしれない。しかし、それが偽りの関係性でしかないことは明らかだろう。

 自らの腕と娘の腕を付け替え、幻想的でロマン主義的な異性との関係性を再現している悪魔的な美しさを夢想しながら、私は最後、その退廃的で破戒的な醜悪さに自ら慄いて腕を取り払う。
 静かに冷めいく腕を悲しみを持って抱きしめている。その哀惜は、自らの叶わぬ願望に対するものだったのだろう。

新潮文庫『眠れる美女』所収

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