川端康成 短編作品

『イタリアの歌』

 1936年の初出。
 川端の代表作『抒情歌』(1932)と同じく「死とそれを受け入れるもの」という主題を引き継いだ作品。だが、この作品の「死」の方がより唐突だ。死を受け入れる側は、突然のことに茫然とし、感情さえ失っているように見える。

 不慮の火災事故を引き起こした戦争医学博士の鳥居。些細な不注意からガスへと引火し、爆発事故を起こした彼は、重度の熱傷を負って入院している。だが、医師の診断ではもう助からないと見られている。一方、同じ事故に巻き込まれた助手の咲子は、一命を取り留め、鳥居と同じ病院に入院していた。
 咲子は、鳥居の瀕死の容態を前にしても、それを感情として表に表さなかった。

 博士は三十五歳で独身だったので、美しい女助手の咲子が博士の婚約者であろうか、恋人であろうかということが、先ず第一の問題だった。
 咲子がいかに悲しむかを知りたくて、人々は彼女の病室を盗み見して通った。
 咲子は憂え顔を求められたわけである。若く美しい令嬢が片脚と片手に火傷したことへの同情とは、そのようなものであった。

 周囲の人々は、咲子が博士と一体どういう関係だったのかをいぶかしんでいる。
 この作品の中では、咲子の心理はほとんど描写されない。
 ただ最後の場面で、とうとう博士が亡くなった際に、咲子が悲しい様子など全く見せずに、ただ「イタリアの歌」を口ずさむ姿だけが描かれる。
 咲子は博士と将来を約束した仲だったのだ―――

 唐突な死を前にして、それを受け入れなければいけないものの悲しみは、一つの歌に象徴して描かれる。余計な描写を極限まで排除して、死を受け入れる者の心の内の悲しみを描いた佳作。

『日雀』

 1940年の作品。「ヒガラ」と読む。シジュウカラの仲間で、体長10cm程度しかない小鳥。
 川端は昭和7年(1932年)の夏頃から、数多くの小鳥を買い始めている。ホオジロ、コマドリ、紅雀、ミミズクなど多種に亘ったようだ。
 この作品は、作者が各地で小鳥を買い求めて得た経験をそのまま物語にしたものだろう。

 主人公の松雄は、小鳥を買い求めることが過去の女の思い出と密接に結びついている。妻の治子は、夫の鳥道楽と過去の女の話に、半ば呆れ、半ば悲しんでいる。彼女の心を一時、癒すことができたのは、日雀の高く澄んだ、切ないほど長い鳴き声だった―――

『朝雲』

 あの方は初めてお教室へいらっしゃる途中、渡廊下の角に立ちどまって古い窓から空を見上げていらした。白い雲の縁にはまだ朝の薔薇色がほのかの残っているようだった。

 初出は1941年。
 女学生が新しく赴任してきた女性教師に対して抱く淡い憧れ。それを流麗な筆致で描いた作品。
 少女の憧れは、若く美しい、そして古典や踊りの美しさを教えてくれた女性教師へと向けられているが、その背後にはもっと抽象的なもの、美しさそのものへの切望があったのだろう。少女の言葉は美しさへの強い憧れを物語っている。

 そんな時、「あの方は美し過ぎるもの。」とささやくのが私の口癖だった。

 美しくなりたいと私が絶望的なほどに切なく思い出したのも、あの方のせいだった。

 女学校卒業の日にその教師へしっかりとした別れの言葉を残せなかったことが心残りで、少女は心に深い悲しみを抱き続けることになる。
 思いを振り切れない「私」は卒業後に「あの方」へ手紙を送り続ける。だが、当然ながら、返事はなく、思いは無為に過ぎていく。

 しかし、時を経るにつれて、少女は、教師への憧れが、美しさそのものへの憧れであり、思春期の情熱がその対象を求めていたにすぎないと気づいたのではないだろうか。最後の場面はそれを示唆しているように思える。

 あの方の汽車をかくした山際には朝雲がかかっていた。その雲のなかから、あの方のお手を振っていらっしゃるのが見えるようだった。私を見つめていて下さるようだった。初秋の朝の微風があった。その後お国の方へいくら手紙を差し上げても、あの方はやはりお返事がない。しかし私の少女の夢は満ちるだけ満ちて私の芽を培って行ってくれたのか、あの方の思い出はもう胸を痛めない。今私は静かにしている。

 そのことに気が付いた時、少女の思春期は静かに幕を閉じ、一人の大人の女性へと成長していったのだろう。
 思春期の心の揺れを作者は、精緻で美しい文体で謳い上げている。ただただ文体の美しさに酔う作品。

新潮文庫『花のワルツ』所収

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