科学半解 【科学思想史】運動の理論から万有引力へ モノが動くという謎 物が動くというのはどういうことか――― モノは力を加えれば動くし、斜面に置けば転がる。高いところから落とせば落下する。こんな当たり前のことに疑問を抱き、その説明を試みようとしたのが古代ギリシャ人たちだ。 運動の問題に関し... 2016.10.10 科学半解
千言万句 詩人としての生き方 – ホラティウス『詩論』(18 BC?) ミネルウァの意に添わないなら、あなたは語ることもつくることもいっさいできないだろう。これこそあなたの判断であり、良識である。けれども、将来あなたが何かを書いたなら、まずそれを批評家のマエキウスと父上と私に読んで聞かせてから、原稿を家の奥深く... 2016.08.22 千言万句
哲学談戯 芸術創作への方法論 – アリストテレス『詩学』(4c BC) アリストテレス『詩学』(4c BC)「詩」の体系的な把握 アリストテレスは、芸術の本質を「再現」(Mimesis)として捉えている。再現することは、自然を学ぶことであって、人間の本性に由来する。そして、再現されたものを鑑賞することに喜びを見... 2016.08.21 哲学談戯
哲学談戯 対話と議論の理論化 – アリストテレス『弁論術』(4c BC) アリストテレス『弁論術』(4c BC) 私は語り終えた。諸君はしかと聞いた。事実は諸君の手中にある。さあ、判定に入り給え。対話への信頼 よりよい答えというものは、討論や議論の中で生まれてくる。そういった「対話」に対する信頼が、西欧の知的伝統... 2016.08.20 哲学談戯
科学半解 近代知への反論 – 中村雄二郎『臨床の知とは何か』 中村雄二郎『臨床の知とは何か』(1992)臨床の知の発見 近代科学は、普遍性・客観性・論理性を中心原理として、現実を対象化してきた。だが、その一方で、こうした枠組みから排除されてしまった「異なる現実」が存在するのではないだろうか。 それを中... 2016.07.16 科学半解
科学半解 【科学思想史】臨床医学の始まり 臨床的知識とは? 医療の現場では、医療従事者に全く異なる二つの資質が求められている。一つは、病理学をはじめとした基礎医学の知識に基づいて病気を診断する科学的知性。そして、もう一つが、経験に基づく臨床的な知識によって患者に接する対応力だ。それ... 2016.07.15 科学半解
哲学談戯 近代知に代わる知性へ – 中村雄二郎『哲学の現在』 中村雄二郎『哲学の現在』(1977)近代知性のAlternative 自我、身体、認識、宇宙像(cosmology)のそれぞれにおいて、近代的知性の限界を論じた書。 近代的知性の問題とは何だろうか。著者によればそれは、科学的知識とドグマの対... 2016.07.10 哲学談戯
科学半解 【科学思想史】心理学の始まり – 意識の科学的解明へ 意識の科学的探究へ 意識を定義してください――― そう言われたら、あなたはどう答えますか? 意識ってなんだろう? 心?それとも、脳? 実証研究を基礎としてきた近代科学において、「意識」は、極めて捉えがたい存在だった。 客観的な対象としては、... 2016.07.05 科学半解
晴筆雨読 多様なルネサンス像 – 樺山紘一『ルネサンス』 絶版本を読む絶版本の世界へようこそ。あえて絶版本を読み、それを紹介するという誰得?な企画です。樺山紘一『ルネサンス』(1993)近代性の裏に隠れたルネサンスの異なる側面 人間中心主義と合理主義的精神——— 14世紀は、古典文芸の復興の時代で... 2016.06.15 晴筆雨読
方々日誌 左右盲の克服方法(自己経験談) 左右盲とは? 右と左の区別が咄嗟にはつかないこと、またはそのような人の、自称。 色盲などといった既存の言葉から造られたただの俗語であり、このような病名や学術用語が実際にあるわけではない。 ごく一般には、「右」「みぎ」「左」「ひだり」と言葉ま... 2016.05.02 方々日誌