『朝雲』
あの方は初めてお教室へいらっしゃる途中、渡廊下の角に立ちどまって古い窓から空を見上げていらした。白い雲の縁にはまだ朝の薔薇色がほのかの残っているようだった。
初出は1941年。
女学生が新しく赴任してきた女性教師に対して抱く淡い憧れ。それを流麗な筆致で描いた作品。
少女の憧れは、若く美しい、そして古典や踊りの美しさを教えてくれた女性教師へと向けられているが、その背後にはもっと抽象的なもの、美しさそのものへの切望があったのだろう。少女の言葉は美しさへの強い憧れを物語っている。
そんな時、「あの方は美し過ぎるもの。」とささやくのが私の口癖だった。
美しくなりたいと私が絶望的なほどに切なく思い出したのも、あの方のせいだった。
自らの内部に芽生え始めた若々しいまでの美への欲求を具体的な他者へと仮託する過程が、そこには描かれている。
女学校卒業の日──その教師へしっかりとした別れの言葉を残せなかったことが心残りで、少女は心に深い悲しみを抱き続けることになる。
思いを振り切れない「私」は卒業後に「あの方」へ手紙を送り続ける。だが、当然ながら、返事はなく、思いは無為に過ぎていく。
しかし、時を経るにつれて、少女は、教師への憧れが、美しさそのものへの憧れであり、思春期の情熱がその対象を求めていたにすぎないと気づいたのではないだろうか。最後の場面はそれを示唆しているように思える。
あの方の汽車をかくした山際には朝雲がかかっていた。その雲のなかから、あの方のお手を振っていらっしゃるのが見えるようだった。私を見つめていて下さるようだった。初秋の朝の微風があった。その後お国の方へいくら手紙を差し上げても、あの方はやはりお返事がない。しかし私の少女の夢は満ちるだけ満ちて私の芽を培って行ってくれたのか、あの方の思い出はもう胸を痛めない。今私は静かにしている。
偶像を求めようとする美への欲求は、若さ──未成熟さ──故に対象をひたすら求めて不安定なまま揺れ動いている。「朝雲」のように、淡く、知らぬ間に形を変えていくものとして描かれている。かつて濃密だった感情は、否定されるのではなく、輪郭を失いながら次の段階へと移行する。
そのことに気が付いた時、少女の思春期は静かに幕を閉じ、一人の大人の女性へと成長していったのだろう。
思春期の心の揺れを作者は、精緻で美しい文体で謳い上げている。ただただ文体の美しさに酔う作品。
新潮文庫『花のワルツ』所収


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