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変容する〈文学〉──19世紀から現代までの文学理論の展開

文学逍遥

文学の定義はどのように変わったのか──近代以降の思想史

 「文学(literature)」という概念が、現代で一般的に用いられる意味──すなわち、架空の物語や創造的な文章を中心とするもの──を持つようになったのは、歴史的に見て比較的最近のことだ。とりわけ19世紀のロマン派以降、この概念は大きな変容を遂げた。

 文学とはなにか──

 以下では、その問いに答えようとした19世紀から現代に至るまでのその理論の変遷を追っていきたい。

1. 19世紀:ロマン派による「想像力」の特権化

 18世紀まで、「literature(文学)」という語は、哲学・歴史・随筆・書簡など、社会的に価値ある高尚な著述全般を指す包括的な概念だった。したがって、今日的な意味での「文学」とは大きく異なっていた。

 しかし、19世紀に入ると、ロマン派の文学者・思想家によって、この概念に決定的な転換がもたらされる。

 まず、文学は「想像力」と強く結びつけられるようになった。文学は創造的・想像的な書き物とみなされ、フィクションがその中核を担うと考えられるようになる。そして、実在の事実を記録・説明する言説よりも、架空の世界や人物を創造する営為のほうが高く評価された。この結果、文学は「虚構を創造する芸術」として他の著述とは区分され、再定義されるようになった。

 この変化の背景には、産業資本主義および功利主義への反発があった。産業と経済が高度に発展するにつれて、効率・利益・実用性を過度に重視する社会が到来していた。近代社会のもたらす合理主義は、社会の発展をもたらすとともに、人間性を抑圧するものとも受け止められていた。
 そうした社会矛盾が意識される中で、文学は、それらとは異なる価値を体現する領域として位置づけられた。そして、現実社会から距離を取りつつ、想像力や美といった非実用的価値を守る「聖域」として理解されるようになっていった。

 ロマン派は、このような文学観の転換を理論と実践の両面で担っていた。彼らは文学作品を「有機的統一体」として捉えた。作品は単なる要素の集合ではなく、全体として生命を持つ統一的存在と見なされる。
 そして、このロマン主義の運動の中で、特に重要なのは、近代合理主義のもたらした人間阻害、すなわち、人間の理性では解決しがたい根源的対立──主体と客体、内面と外面、精神と物質といった二項対立──を、象徴の働きによって統合し、乗り越える可能性が文学に認められた点だ。

 こうして文学は、単なる書物の枠を超え、象徴的かつ超越的な力を担う営為として理解されるようになった。

 ロマン派の台頭は、虚構(fiction)のもつ社会的な価値の発見だったと言えるだろう。

2. ヴィクトリア時代:宗教の代替としての「英文学」

 19世紀後半になると、産業化と都市化の進展に伴い、社会の合理化はいっそう加速した。科学的思考や効率性を重視する価値観が広がり、人間の意識そのものも大きく変化していく。この過程でとりわけ動揺したのが、伝統的価値、とりわけ宗教に支えられてきた倫理観であった。

 進んだ工業化を経験したヨーロッパ諸国では、キリスト教が担ってきた社会的・道徳的権威は徐々に弱まっていく。信仰そのものが消滅したわけではないが、それが社会全体を統合する中心的原理として機能し続けることは難しくなった。価値の共有を支えていた基盤は、確実に揺らぎ始めていた。

 こうした状況の中で、文学──とりわけ英文学──が新たな役割を担うものとして注目されるようになる。文学は、宗教に代わって共通の価値観や感受性を育む媒介と見なされ、社会統合に寄与する文化的装置として位置づけられた。作品を読むことを通じて、人々は他者の経験や感情に触れ、共感や倫理的判断力を養うと期待されたのである。

 この結果、文学は単なる娯楽や個人的表現にとどまらず、社会秩序を支える規範意識を内面化させる手段、いわば「世俗的な宗教」に近い役割を担うものとして理解されるようになった。

 この転換は、主に次の二点に集約される。

① 教養教育としての制度化

 英文学は、大学や専門学校のカリキュラムに正式に組み込まれ、教育制度の中核を占めるようになった。とりわけ中産階級や労働者階級、さらには女性に対する「人文化(civilizing)」および道徳教育の有力な手段と見なされた点が重要だ。

 従来の古典語教育や聖書中心の教育に代わり、英文学作品を通じて「英国人としての教養」や「望ましい感情・価値観」を内面化させることが目指された。ここでの文学教育は、単なる知識伝達ではなく、人格形成を目的とする実践として機能していた。

② 生の体験と情緒的理解の重視

 ヴィクトリア朝の文学観においては、文学の価値は抽象的な道徳命題の提示には求められない。むしろ、具体的な人生経験の再現を通じて読者の感情に働きかけ、内面的な倫理的洞察を育む点にあるとされた。

 読者は作品世界に没入し、登場人物の喜びや苦悩を感覚的・情緒的に追体験する。その過程で、外在的に教え込まれるのではなく、内発的に倫理的・人間的成熟が促されると考えられた。

 この見方は、後のF.R.リーヴィスによる「大伝統(The Great Tradition)」論──「どの作品が真に読む価値があるのか」という文学の評価基準(正典)を厳格に定めようとする議論──へと連なっていく。

3. 20世紀初頭:フォルマリズムによる「言語」への転回

 20世紀に入ると、文学の定義は再び大きく転換する。とりわけ1917年前後に登場したロシア・フォルマリズムは、文学理解の重心を、それまでの「内容」「想像力」「道徳的価値」から、「言語の特殊な用法」へと移行させた。文学はもはや思想や感情の器ではなく、言語的操作そのものとして分析されるべき対象とされたのである。

 このアプローチは、文学を科学的に記述・分析しようとする点に特徴があり、主に次の二点に集約される。

① 異化作用(defamiliarization / ostranenie)

 フォルマリズムの中心人物であるヴィクトル・シクロフスキーは、文学を「日常言語に加えられた組織的な逸脱」と捉えた。すなわち、文学とは、慣れ親しんだ言語や事物を意図的に歪め、異様化する技法の体系である。

 この「異化」によって、習慣化・自動化された知覚は攪乱され、読者は対象を新鮮なものとして再認識する。したがって文学の本質は、現実を単に再現することではなく、知覚のあり方そのものを変容させる点にあるとされた。

② 文学性(リテラリネス)の探究

 フォルマリストたちが最も重視したのは、「何がテクストを文学たらしめるのか」という文学性(literariness)そのものである。

 彼らは、作品の主題や作者の意図、さらには社会的・歴史的背景といった外在的要因を分析の中心から排し、言語の形式・技法・構造といった内在的要素に焦点を当てた。ここでは「何が語られているか」ではなく、「どのように語られているか」が決定的に重要とされる。すなわち、語りの方法や表現の組織化こそが、文学の固有性を規定すると考えられたのである。

4. 20世紀半ば:自律的な「対象」および「システム」としての文学

 20世紀半ばになると、文学を歴史・社会・作者の意図といった外的要因から切り離し、独自の内的法則に従うものとして捉える傾向が強まった。文学は外部の文脈に依存せず、それ自体で完結する存在とみなされるようになる。

 この方向性は、主に次の二つの理論潮流において顕著である。

① 新批評(ニュー・クリティシズム)

 1930年代から1950年代にかけてアメリカで隆盛した新批評は、文学作品(とりわけ詩)を「自己完結的で自律的な対象」として扱った。

 この立場では、作者の意図(意図の誤謬)や読者の主観的感情(感情の誤謬)、さらには歴史的・社会的背景といった外在的要素は分析から排除される。代わりに、テクスト内部における言語、イメージ、パラドックス、アイロニー、緊張といった形式の精密な読解(クローズ・リーディング)が重視された。

 こうして文学作品は、「言葉によって構築された自律的な芸術対象」として位置づけられることになる。

② 構造主義

 1950年代後半以降、フランスを中心に展開した構造主義は、この内在化の方向をさらに推し進めた。ただしその焦点は、個別作品の内部形式ではなく、それらを成立させている背後の構造へと移行する。

 この立場では、個々の作品は、言語体系や神話的構造、物語のコードといった深層の規則が具体化した表層的現象にすぎないと考えられる。したがって文学研究の関心は、「作品を解釈すること」から、「文学を可能にしている構造そのものを記述すること」へと移行した。

5. 現代:不確定な「言説実践」としての文学

 20世紀後半以降、ポスト構造主義や文化理論(Cultural studies)の展開により、文学に固有の本質や安定した定義を認める立場そのものが批判されるようになった。

① 意味の不安定性

 この時期の理論では、言語の意味は固定的なものではなく、常に文脈や解釈者との関係の中で変動すると考えられる。そのため、唯一の「正しい解釈」というものは想定されず、文学作品は本質的に多義的で不確定なテクストとして理解される。

② 制度としての文学

 さらに重要なのは、文学を制度的・歴史的に構築されたカテゴリーとして捉える視点だ。イギリスの批評家 テリー・イーグルトン は、文学とは特定の内在的性質によって定義されるのではなく、ある種の著述に対して社会が与えた呼称にすぎないと指摘した。

 この見方によれば、文学とは普遍的な本質を持つ領域ではなく、特定の時代・社会・権力関係の中で成立する「言説実践(discursive practice)」である。したがって、その境界や価値は固定的ではなく、歴史的・政治的に再編成され続ける相対的なものとされる。

まとめ

 以上のように、「文学」の定義は時代ごとに大きく変化してきた。

  • 19世紀ロマン派:想像力の特権化と創造的価値の確立
  • ヴィクトリア時代:宗教に代わる道徳・教養の担い手
  • 20世紀初頭:言語の技法と文学性への注目
  • 20世紀半ば:自律的な芸術対象および構造的システム
  • 現代:境界の流動的な言説実践

 このように文学概念は、「優れた小説」という素朴な理解を超え、各時代の思想的・社会的要請を反映しながら再定義され続けてきた。現在においても、その定義は固定されることなく、変動し続けている。

参考
・テリー・イーグルトン『文学とは何か – 現代批評理論への招待(上)』岩波文庫 (2014)
・テリー・イーグルトン『文学とは何か – 現代批評理論への招待(下)』岩波文庫 (2014)

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