ノーム・チョムスキー『言語と認知 – 心的実在としての言語』秀英書房 (2003)
Noam Chomsky, Language in a Psychological Setting, 1987
認知革命とは何だったのか?
チョムスキーの講義録。1987年に日本で行われた講義が基になっている。
ミニマリスト・プログラムが提唱される以前のものだが、それまでに展開されてきたチョムスキーの生成文法理論における哲学的・方法論的基盤を、比較的平易な語り口で簡潔に——チョムスキーの他の著作に比べれば——示している。
特に本書で注目すべきは、1950年代の認知革命がどのような問題意識のもとで展開されたのかを、明快に説明している点だ。ここには、単なる理論史の整理にとどまらず、人間の心をいかに捉えるべきかという根本的な問いが据えられている。
認知革命は、人間観そのものを転換する契機となった。その意味で本書は、言語学の専門書でありながら、「人間とは何か」という問いに正面から応答しようとする、射程の広い著作となっている。
1. 行動主義批判──心の不在への異議申し立て
認知革命の出発点は、行動主義心理学への根本的批判にある。刺激と反応の連鎖によって言語を説明しようとするスキナー的枠組みに対し、チョムスキーは、それでは人間の言語能力を原理的に説明できないと断じる。
問題にされているのは、「心を観察可能な行動へと還元できる」という前提そのものだ。チョムスキーは、外的行動の記述ではなく、その背後にある内的状態──すなわち心的構造──の解明こそが科学の課題であると位置づける。
2. 理論的転回──E言語からI言語へ
この立場から導かれるのは、研究対象の抜本的な再定義だ。従来の言語学が扱ってきたのは、社会的・文化的産物としての文の集合、すなわち外在的言語(E言語)であった。これに対してチョムスキーは、言語を個人の心の内部に実在する規則と表象の体系――内的言語(I言語)として捉え直すべきだと主張する。
この転回は、言語を社会的慣習としてではなく、自然科学の対象として扱う道を開く。言語はまず第一に、個々の人間の頭脳に内在する構造なのだ。
3. 言語=心的器官という発想
I言語という観点から、チョムスキーは言語を「心的器官」として位置づける。言語能力は、外部からの単なる学習によって形成されるのではなく、生得的な設計図に基づき、環境との相互作用のなかで発達する。
この立場を支える代表的論拠が「刺激の貧困」の問題である。子どもが限られた言語入力から豊かな文法知識を獲得できる事実は、あらかじめ内的構造が備わっていると考えなければ説明がつかない。この点で、言語獲得は視覚や循環と同様、生物学的成長の一形態とみなされる。
言語と人間性──創造性と自由
本書の議論において、もう一つ注目されるべき点は、認知革命による人間の見方そのものの転換が人間性の問題へと展開しているところだ。チョムスキーの人間観、政治哲学へとつながる視点が示されていて、非常に興味深い。
チョムスキーはデカルト的な身体機械論に触れながら、言語使用の創造的側面に光を当てる。
人間の言語使用は、状況に対して適切でありながら、いかなる刺激にも機械的に規定されない。同じ場面でも無数の発話が可能であり、その選択は「意図」に基づいている。
この性質は、外的環境に強く規定される動物や機械の反応とは本質的に異なる。ここからチョムスキーは、人間の言語能力を、意図や自由と結びついた特性として捉える。
ここでチョムスキーの議論は、言語科学の発展を支えた視点が、人間性の擁護への基盤となっている。行動主義が人間の「予測と統制」を目指すとき、それは同時に人間の内的本性を無視することにもなりかねない。チョムスキーが重視するのは、人間に根ざした自由への欲求であり、安易な行動統制がいかに危険な思想的帰結をもたらすかという問いかけである。
彼の言語学者としての一面と社会活動家としての一面をつなぐ一つの視座がここには見て取れる。
行動科学は、思考や行動を統制しようとする努力に効果をもたらすであろうか。あるいは思考や行動を研究することによって、標的となる人々に自己防衛の手段を与えることができるだろうか。これらの問題は、十分な考慮に値する。長い苦悩の時を経て、現代文明は人間を所有することが人間の本質的な権利に対する耐えがたい侮辱であるということを認識するに至った。その本質的な権利とは、人間の本性と自由への欲求に根ざしている。奴隷制も当事者には極めて道徳的であるとして擁護されていたことは強調に値する。その議論はわれわれから見ると奇怪ではあるが、単にばかげているとして見過ごすことはできない。たとえば、奴隷の所有者は、資本主義経済において労働を単に賃貸する人よりも、注意を払って自分の財産[である奴隷]を扱うであろうといった議論である。このような道徳に関する議論は、よくあることだが、ある共通理解を土台として進められた。その共通理解は究極的にはわれわれの認知能力にもとづくものであろうが、特定の歴史的、社会的、文化的条件の下では表に現れてこないものである。そのような[基本的人権に反する]議論を拒むことは、われわれの本性の一部である道徳観への洞察が高まりつつあることの反映であると解することができよう。またより深い洞察により、思考や行動の統制、さらに他の権威や支配の形態もまた基本的な人権への嫌悪すべき、許すべからざる不当な扱いであることが明らかになるはずである。しかし、ここではこれらの重要な問題をこれ以上論ずるつもりはない。
pp.28-29
本書の現代的意義
本書はミニマリスト・プログラム以前の著作であり、その後の理論的発展を踏まえると、枠組みの一部には修正・精緻化が加えられている。しかし、そうだとしても本書は今なお、チョムスキー理論の哲学的出発点を確認するためのテキストとして重要な価値を持っている。
言語学・認知科学・哲学を横断しつつ、「人間とは何か」という問いに科学的かつ人文的に迫る本書は、現在においてもなお有効な問題提起を含んでいる。チョムスキー思想への導入として、依然として最良の一冊と言えるだろう。

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