PR|記事内に広告が含まれています。

【自分の頭で考える哲学】第4回 ― 同一性とは何か

哲学談戯

同一性とは何か

みなさん、こんにちは。
「自分の頭で考える哲学」第四回です。

前回は「私とは何か」というテーマについて考えました。

私という存在は、「私」という言葉で表されるものではありませんでした。
言葉では決して表現しきれないものであって、常にことばを乗り越える存在でした。

今回は、その話とも深く関わる問題について考えてみたいと思います。

今回のテーマは、「同一性とは何か」です。

少し難しそうな言葉ですが、これも私たちの日常の物の見方を支えている重要な考え方です。

昨日の私は今日の私なのか

まず、簡単な質問をしてみましょう。

昨日のあなたと今日のあなたは同じ人でしょうか。

おそらくほとんどの人は、「もちろん同じ人だ」と答えるでしょう。

しかし、少し考えてみてください。

昨日食べた食事は消化されました。
いくつもの細胞が入れ替わっています。
髪も伸びています。
新しい記憶も増えています。

身体の状態は昨日とまったく同じではありません。精神状態も違うかもしれません。

それでも私たちは、
「昨日の私」と「今日の私」は同じ人間だと考えています。

なぜでしょうか。

変化しても同じものなのか

この問題は、自分自身だけではありません。

たとえば、長年使っている机を考えてみましょう。

脚が一本壊れて交換されました。
数年後には残りの脚も交換されました。
さらに天板も交換され、塗装も塗り直されました。

部品のほとんどすべてが入れ替わったとしても、私たちはしばしば、「これは昔から使っているあの机だ」と言います。

しかし、本当にそうでしょうか。

構成している部品は以前とは違います。

それでも同じ机だと言えるのでしょうか。

もし言えるなら、その同一性はどこにあるのでしょうか。

テセウスの船

この問題について考える有名な思考実験があります。

古代から伝えられている「テセウスの船」です。

ある船がありました。

長い年月のあいだに部品が少しずつ交換されていきます。
朽ちた板を交換し、傷んだマストを交換し、帆を交換する。
そうして最終的には、元の部品が一つも残っていなくなりました。

さて、その船は最初の船と同じ船でしょうか。

ここで多くの人は悩みます。

同じ船だと言いたくなる気もします。

しかし、すべての部品が入れ替わっている以上、別の船だと言いたくなる気もします。

さらに話は続きます。

交換された古い部品をすべて集めて、もう一度組み立てたとしましょう。
すると船が二隻できます。

どちらが本物のテセウスの船なのでしょうか。

この問いに簡単な答えはありません。

「同じ」とはどういうことか

私たちは普段、「同じ」という言葉を何気なく使っています。

しかし実際には、「同じ」という言葉にはさまざまな意味があります。

同じ種類である。
同じ形である。
同じ機能を持つ。
同じ歴史を持つ。
同じ記憶を持つ。

私たちはどの意味で「同じ」と言っているのでしょうか。

自分自身は昨日と今日でさまざまに変化しています。

それでも同じ人間だと考えています。

つまり私たちは、必ずしも「まったく変化しないこと」を同一性と呼んでいるわけではないのです。

私はなぜ私であり続けるのか

修理と部品交換を繰り返した机。成長し続ける人間。幼虫から蛹を経て蝶になる昆虫。

変化し続けるものに対しても、私たちはしばしば同一性を認めます。

では、その同一性は何によって成り立っているのでしょうか。

私が私であり続ける条件とは何でしょうか。

もし身体を構成する細胞が次々と入れ替わっているなら、同一性は身体にあるのでしょうか。

ある人は、「記憶にある」と答えるかもしれません。
幼い頃の記憶から現在までがつながっているから、自分は自分なのだ、と。

しかし、それなら記憶を失った人は別人になるのでしょうか。

また、以前の回の複製人間の話を思い出してください。
もしあなたの記憶を完全に再現した複製が作られたら、その複製もあなたになるのでしょうか。

では、人には魂のようなものがあって、それが同一性を保証しているのでしょうか。

あるいは身体でしょうか。記憶でしょうか。人生の連続性でしょうか。

哲学者たちは長い間、この問題について考え続けてきました。

同一性は発見されるものか、作られるものか

ここで、前回までのテーマとのつながりが見えてきます。

私たちは世界を「個物」として認識していました。

そして、自分自身を「私」として認識していました。

しかし、その個物や私が時間を超えて同じものであり続けるためには、「同一性」という考え方が必要になります。

ところが、その同一性が世界の中に客観的に存在しているのか、それとも私たちが認識の中で作り出しているのかは簡単には分かりません。

私たちは変化し続ける世界の中に何らかの連続性を見出し、それを「同じもの」と呼んでいるのかもしれません。

世界は変化し続けている

古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、「同じ川に二度入ることはできない」と言いました。

川の水は絶えず流れ続けています。
二度目に入るとき、その川はすでに以前とは違う川になっています。

そして、それは川だけではありません。

私たち自身もまた、絶えず変化しています。
世界のあらゆるものは変化し続けています。

それにもかかわらず、私たちはその中に同一性を見出しています。

同じものは本当に存在するのか

私たちは普段、
「これは昨日と同じ机だ」
「これは昔から住んでいる家だ」
「私はあの頃と同じ私だ」
と考えています。

しかし哲学はそこで立ち止まります。

本当に同じなのでしょうか。

もしすべてが変化しているなら、「同じ」とは何を意味しているのでしょうか。

そして、もし完全に同じものなど存在しないとしたら、私たちは何を根拠に「同じ」と考えているのでしょうか。

物理学の観点から見ても、あらゆる物体は粒子の運動や相互作用によって絶えず変化しています。では、その粒子そのものは同じ存在なのでしょうか。

あるいは、粒子にもまた同一性という問題は存在するのでしょうか。

「同一性とは何か」という問いは、時間の中で変化する世界を、私たちがどのように理解しているのかを問い直す問題なのです。

それでは今回はここまでにしましょう。
また次回、お会いしましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました