新しい実在論 – マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(2013)

マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(2013)

世界は存在しない?

世界はなぜ存在しないのか―――

 常識的な判断に逆らった極めて挑発的な問いだが、本書での結論は非常に穏当なものだ。

 ここで言う「世界は存在しない」ということの意味は、世界という現実が存在していない、ということではない。もちろん、われわれが世界を知ることができないとか、世界を認識することができないという意味でもない。それは、あくまで「すべてを包摂する唯一の世界は存在しない」ということを示している。

 むしろ著者の考えは非常に穏当なもので、「わたしたちは物および事実それ自体を認識することができる」という認識能力を素直に信頼した立場に立っている。ただし、その認識された物および事実は、さまざまな意味の世界に属しているという。そして、われわれが唯一、把握することができないものが、「すべてを包括する全体世界」ということになる。

 われわれはそれぞれの意味の領域に応じた無数に可能な世界を生きている。

 本書の結論を一言で要約しようとすればこのようなものになるだろう。
 ただ、著者の言う無数に可能な世界というのは、「すべてを包摂する世界が存在する」という命題の反証として得られた結論であり、それが具体的にどのようなものかは本書では明示されていない。

新しい実在論

無数に可能な世界とは何か―――

 たとえば、多元的宇宙論の「並行世界」のようなものを想像すればいいのだろうか。しかし、著者の考えに沿って言えば、物理学が唱える多元的宇宙論の「並行世界」は、物理学主義の産物であって、物理学という意味の領域に現れた一つの現実に過ぎない。したがって、存在論的に解釈された多元的世界を考えなくてはいけない。

 著者は意味の場の存在論を提唱している。この存在論では、「存在」を「何かが意味を持って現象するも」のとして捉え直す。対象が意味を持って現象するためには、意味の場と呼ぶべき対象領域が必要になる。意味が成立するためには場(context)が必要だからだ。この対象領域は相互に関連しつつ無限にあらわれる。
 それは、さまざまな意味の場を包括して捉える統一的視点というものがないからだ。唯一の超越的観点というものがない以上、それは無限の可能性に開かれるものであり、世界の様相に多元的性格をもたらす。

 著者は、われわれがすでに無限に数多くの可能性へ巻き込まれて生きているという。

わたしたち一人ひとりが自分自身に閉じ込められているわけではありません。ましてや自らの自己意識に閉じ込められているのではありません。わたしたちは、無限に多くの意味の場のなかをともに生きながら、そのつど改めて当の意味の場を理解できるものにしていくわけです。それ以上に何を求めるというのでしょうか。

P273-4

 この無限の可能性に開かれて生きているということの意味が著者の言う多元的な世界ということなのだろう。それを本書では「新しい実在論(Neuer Realismus)」と名付けている。

存在論としての難題

 「すべてを包摂する世界が存在する」のではなく、無数の可能性に開かれた存在の在り方を著者は「新しい存在論」として提唱した。
 だが、「無数の世界」が、命題として真が証明されるものでもなく、事実として実証されるものでないとしたら、それは、どのようにして自らの正しさを主張するのだろうか。

 カントの「物自体」をも否定した著者の徹底した多元主義は、「存在」を「意味」に置き換えただけというようにも見える。

 著者の掲げる新しい実在論は、二つのテーゼによって成り立つという。

 第一に「わたしたちは物および事実それ自体を認識することができる」ということ。そして第二に「物および事実それ自体は唯一の対象領域にだけ属するわけではない」ということ。

P311

 物や事実は、客観的な唯一のものとしてではなく、多様な意味の領域の中に現れている。存在や事実はすべて「意味」として捉えられ、意味は「場」に応じた多様なあらわれ方をする。意味として現れた存在や事実以外のものを実在として認めないため、世界は多様になる。
 その意味で、すべてを包摂する世界はない。これを「世界は存在しない」という命題として掲げている。

 この存在論(Ontology)は非常に魅力的だ。しかし、存在論は自らの正しさをどのように証明するのだろうか?存在論は、「存在するものとは何か」という認識以前のアプリオリな実在を問うものだからだ。

 存在論はその正しさを論証して自ら示すという点において非常な難題を抱えている。本書でもそこが一番の問題になっているだろう。だが、近代以降、ほとんど返り見られなくなった存在論を新たに問い直した意義は非常に大きいものだと思う。