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【古代ギリシア哲学】ソクラテス・プラトン年表|著作一覧

哲学談戯

ソクラテス年表

年代(紀元前)出来事補足
470年頃アテナイに誕生父ソフロニスコス(石工)、母フェナレテ(助産師)の子として生まれる。
455〜450年頃青年期彫刻家として活動したとされる。教育は主に当時のアテナイの伝統的教養(音楽・体育・詩)による。
約450〜440年代哲学への関心アナクサゴラスやソフィストなどの思想に触れ、自然哲学から倫理的問題へ関心を移す。
432年ペロポネソス戦争開始前後にポティダイア遠征に従軍アルキビアデスらとともに出陣、勇敢さで知られる。
424年デリオンの戦いに従軍戦場でアルキビアデスを救出したとの逸話が残る。
422年アンフィポリス遠征に従軍三度の軍務経験を通じ、市民としての義務を果たす。
420〜410年代市場や公共の場で哲学的対話を行う若者や市民に問いかけ、徳・正義・知識の本質を探る。
406年アルギヌサイ海戦後の裁判で参事役(プリュタニス)として投票不法な裁判手続きに反対票を投じ、少数派に留まる。
404年三十人政権下で不当命令を拒否レオンの逮捕命令を拒否し、自宅に戻る(危険を伴う勇気の行動)。
399年不敬と青年堕落の罪で告発されるメレトス、アニュトス、リュコンらが告発。陪審の多数決で有罪。
同年毒杯(ドクニコン)を飲んで死去監獄で弟子たちと最後の対話を交わした後、平静に死を迎える。

補足

  • 生年・青年期の活動は確定的史料が少なく、年代は推定。
  • 軍務経験や裁判での行動は、クセノポンやプラトンの記述から再構成される。

ソクラテスの生涯とその歴史的背景

  1. 黄金期から没落期までを生きた
    ソクラテスはペリクレス期の栄華と、ペロポネソス戦争による衰退の両方を体験。
  2. 民主政と法の関係
    彼の行動は、民主政の変質や衆愚化への批判と、法の尊重という二面性をもつ。
  3. 裁判の背景
    戦争敗北後のアテナイは、異端的思想への寛容度が低下。政治的スケープゴートの要素もあった。

プラトン年表

年代(紀元前)出来事補足
427年頃アテナイに誕生名門貴族の家系。父アリストンはコドロス王の末裔、母ペリクティオネはソロンの血筋と伝えられる。
409〜404年頃青年期詩作や演劇に興味を持つが、やがて哲学に傾倒。ソクラテスの弟子となる。
404年三十人政権成立親族クリティアスが支配層に加わるが、暴政に失望。政治への直接関与を避ける。
399年師ソクラテスの死弁明や裁判を目撃し、哲学的使命感を強く抱く。
399〜387年頃放浪と学びメガラ、キュレネ、エジプト、南イタリア(ピタゴラス派)などを巡る。
387年頃アカデメイア創設アテナイ郊外アカデメイアの聖域に哲学学校を開く。西洋最古の高等教育機関とされる。
367年シラクサ遠征(第1回)ディオニュシオス2世の教育を依頼されるが、政治的失敗に終わる。
361年シラクサ遠征(第2回)再び政治改革に関わるが、失敗。帰国後は執筆と教育に専念。
360〜350年代主要対話篇の執筆『国家』『ティマイオス』『法律』などを完成。哲学体系を形成。
347年死去アテナイで没。弟子のスペウシポスがアカデメイアを継承。

プラトンの生涯とその歴史的背景

  1. 生年は紀元前428年説もある。
  2. シラクサ遠征は政治理想を実現しようとした試みだったが、現実政治の壁に阻まれた。
  3. アカデメイアは約900年間続き、中世ヨーロッパにも思想的影響を与えた。

プラトン著作年表(推定)

年代(紀元前)区分代表作内容・特徴
399〜390年頃初期対話篇『ソクラテスの弁明』
『クリトン』
『ラケス』
『エウテュプロン』
『プロタゴラス』など
師ソクラテスの人物像・問答法を記録。徳・正義の定義を探るが結論は未確定。ソクラテスの精神的遺産を伝える。
390〜385年頃『ゴルギアス』
『メノン』
修辞術批判や「徳は教えられるか」論争などを扱う。理念論(イデア論)への伏線が見られる。
385〜370年頃中期対話篇『饗宴』
『パイドン』
『国家』
『クラティロス』
『パイドロス』
イデア論を本格的に展開。魂の不死、愛(エロース)の哲学、正義の理想国家論などが展開される。文体的にも成熟。
370〜360年頃『テアイテトス』
『パルメニデス』
『ソフィスト』
『政治家』
認識論・存在論の精緻化。イデア論の批判的再検討。
360〜350年頃後期対話篇『ティマイオス』
『クリティアス』
『フィレボス』
『法律』
宇宙論、自然哲学、倫理学、法学へ関心が広がる。『法律』では哲人王より現実的な国家制度を構想。
未完作『ヘルモクラテス』『ティマイオス』『クリティアス』の続編予定だったが、未完成のまま終わる。

補足

  • 初期対話篇はほぼ全てソクラテスを主人公とし、歴史的ソクラテス像に近いとされる。
  • 中期対話篇でプラトン独自の哲学(特にイデア論)が明確化。
  • 後期対話篇は対話の構造が複雑になり、ソクラテス以外の語り手や議論形式が増える。
  • 成立順は学術的にも完全な一致はなく、語彙分析・文体研究などから推定される。

偽書(真偽不明または部分的に疑われているもの)

アルキビアデスI
アルキビアデスII
ヒッパルコス
恋敵
テアゲス
クレイトポン
ミノス
エピノミス
書簡集(一部:13通のうち第七書簡、第八書簡を除く)
定義集
正しさについて
徳について
デモドコス
シシュポス
エリュクシアス
アクシオコス
アルキュオン

ソクラテス・プラトンの時代背景

年代(紀元前)ソクラテスの出来事プラトンの出来事アテナイ・ギリシア世界の動向
470年頃アテナイに誕生ペルシア戦争後の繁栄期。デロス同盟を基盤にアテナイ帝国が拡大。
460〜450年代青年期、石工や彫刻に従事。ペリクレスが政界で台頭、民主政治と文化が黄金期に。
432年ポティダイア遠征に従軍。スパルタとの緊張激化。戦争直前の外交摩擦。
431年哲学活動を活発化。ペロポネソス戦争開戦(アテナイ vs スパルタ)。
427年頃アテナイに誕生(名門貴族の家系)。戦争序盤。アテナイは海上優勢。
424年デリオンの戦いで勇敢な行動。幼少期。戦局膠着、同盟都市で反乱の動き。
422年アンフィポリス遠征。幼少期〜少年期。クレオンとブラシダス戦死、和平機運高まる。
415年市場で問答活動を続ける。青年期、詩作や演劇に関心。シケリア遠征出発、のち大敗。国力低下へ。
406年アルギヌサイ海戦後の裁判で法の遵守を貫く。20歳前後、政治や哲学に関心を持ち始める。アルギヌサイ勝利も政治混乱。民主政の不安定化。
404年三十人政権下で不当命令を拒否。親族(クリティアス)が三十人政権幹部、暴政に失望。政治参加を断念。アテナイ敗北。民主政崩壊し寡頭政成立、市民弾圧。
403年民主政復活後も対話活動を続ける。哲学へ傾倒、ソクラテスの弟子に。民主政再建。内部分裂と不信が残る。
399年不敬・青年堕落の罪で裁判。有罪、毒杯で死去。師の裁判と死を目撃。哲学的使命感を固める。戦後混乱期、思想的緊張と民主政防衛意識の高まり。
399〜387年頃放浪と学び。メガラ、キュレネ、エジプト、南イタリアなどを巡る。ギリシア諸都市、スパルタ覇権期。のちテーベが台頭。
387年頃アカデメイア創設。アテナイ文化復興期、哲学学校が長期的影響を持つ。
367年シラクサ遠征(第1回)失敗。ディオニュシオス2世の政権下で政治改革試みるも挫折。
361年シラクサ遠征(第2回)失敗、帰国。西地中海でカルタゴ・シラクサ抗争。
360〜350年代『国家』『ティマイオス』『法律』など主要著作を完成。ギリシア世界はマケドニア台頭期へ。
347年アテナイで死去。アカデメイアは弟子スペウシポスが継承。マケドニアのフィリッポス2世が勢力拡大。

補足

  • 師弟関係の重なり:プラトンがソクラテスと接したのは主に紀元前407〜399年頃の約8〜10年間。
  • 政治情勢の影響:両者の人生はアテナイの黄金期 → 戦争 → 敗北と混乱という急激な変化の中にあった。
  • 哲学と政治の交錯:ソクラテスの裁判は、プラトンの「哲人王」構想やアカデメイア設立に直結。

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