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情景に溶け込む心情 – 川端康成 短編作品

文学逍遥

情景に溶け込む心情 ── 川端康成 短編作品

 川端康成の短編には、風景の一瞬の表情に寄り添うようにして、人の心がそっと描かれている。人間の内面は決して声高には語られず、自然の中に沈みこむように、あるいは逆に、何気ない情景からそっと浮かび上がってくる。

 川端の作品では、風景と心情とが分かちがたく結びつき、登場人物の孤独や愛しさ、哀しみといった感情が、空気そのものに滲み出るかのように表現される。自然が語り、人間は静かに聞き入る──そんな繊細な世界である。

 本記事では、川端康成の短編小説に焦点をあて、情景と心情の交錯がどのように織りなされているのかを、いくつかの作品を通じて見ていきたい。

『日雀』

 1940年の作品。「ヒガラ」と読む。シジュウカラの仲間で、体長10cm程度しかない小鳥。
 川端は昭和7年(1932年)の夏頃から、数多くの小鳥を買い始めている。ホオジロ、コマドリ、紅雀、ミミズクなど多種に亘ったようだ。
 この作品は、作者が各地で小鳥を買い求めて得た経験をそのまま物語にしたものだろう。

 主人公の松雄は、小鳥を買い求めることが過去の女の思い出と密接に結びついている。妻の治子は、夫の鳥道楽と過去の女の話に、半ば呆れ、半ば悲しんでいる。彼女の心を一時、癒すことができたのは、日雀の高く澄んだ、切ないほど長い鳴き声だった―――

『朝雲』

 あの方は初めてお教室へいらっしゃる途中、渡廊下の角に立ちどまって古い窓から空を見上げていらした。白い雲の縁にはまだ朝の薔薇色がほのかの残っているようだった。

 初出は1941年。
 女学生が新しく赴任してきた女性教師に対して抱く淡い憧れ。それを流麗な筆致で描いた作品。
 少女の憧れは、若く美しい、そして古典や踊りの美しさを教えてくれた女性教師へと向けられているが、その背後にはもっと抽象的なもの、美しさそのものへの切望があったのだろう。少女の言葉は美しさへの強い憧れを物語っている。

 そんな時、「あの方は美し過ぎるもの。」とささやくのが私の口癖だった。
 美しくなりたいと私が絶望的なほどに切なく思い出したのも、あの方のせいだった。

 女学校卒業の日にその教師へしっかりとした別れの言葉を残せなかったことが心残りで、少女は心に深い悲しみを抱き続けることになる。
 思いを振り切れない「私」は卒業後に「あの方」へ手紙を送り続ける。だが、当然ながら、返事はなく、思いは無為に過ぎていく。

 しかし、時を経るにつれて、少女は、教師への憧れが、美しさそのものへの憧れであり、思春期の情熱がその対象を求めていたにすぎないと気づいたのではないだろうか。最後の場面はそれを示唆しているように思える。

 あの方の汽車をかくした山際には朝雲がかかっていた。その雲のなかから、あの方のお手を振っていらっしゃるのが見えるようだった。私を見つめていて下さるようだった。初秋の朝の微風があった。その後お国の方へいくら手紙を差し上げても、あの方はやはりお返事がない。しかし私の少女の夢は満ちるだけ満ちて私の芽を培って行ってくれたのか、あの方の思い出はもう胸を痛めない。今私は静かにしている。

 そのことに気が付いた時、少女の思春期は静かに幕を閉じ、一人の大人の女性へと成長していったのだろう。
 思春期の心の揺れを作者は、精緻で美しい文体で謳い上げている。ただただ文体の美しさに酔う作品。

新潮文庫『花のワルツ』所収

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