Blues―――
その誕生と発展には、奴隷制度と人種差別の悲しい歴史が深くかかわっている。
奴隷制度とBlues
アメリカに最初に黒人奴隷が連れてこられたのは1619年と言われている。その後、アメリカでは、奴隷が主要な交易品の一つとなり、1640年代までに各植民地で奴隷制が「法的」に整えられていく。
特に南部諸州は、1830年以降、大規模綿花農場が広がり、その労働力として黒人奴隷が大量に導入された。1790年から1860年の間に、東部のバージニア州、メリーランド州、南北カロライナ州などから南部西部諸州のアラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州、テキサス州などへと100万人近い奴隷が「売買」の結果、移動したと見積もられている。
農場での労働は過酷そのもので、待遇は劣悪、さらに差別的な環境で暮らさなければならなかった。そうした絶望的な環境で黒人奴隷たちが歌ったのが、黒人霊歌といわれるゴスペルの前身となる宗教的音楽で、主に来世での救い、精神の救済や希望を歌った。黒人霊歌やゴスペルには、奴隷という境遇からの解放への祈りが強く現れている。
だが、この非人道的な奴隷制度も南北戦争(1861-1865)を経て終止符が打たれる。1865年、合衆国憲法修正第13条の成立をもってアメリカの奴隷制度は法律上正式に廃止された。奴隷たちはすべて解放され自由民となった。この時の解放奴隷は、400万人に上ると言われている。
では、この奴隷解放宣言(1863)によって、黒人たちの生活はどう変わったのだろうか。確かに奴隷制はこの時廃止されたが、黒人たちの境遇が何か大きく変わったというわけでは決してなかった。経済的に困窮していた黒人たちは、白人農場主たちに小作人として雇われる立場へと変わっただけだった。最低賃金で農場や工場で重労働を課される状態に変わりはなく、白人から経済的に搾取される立場に何の変化もなかったのである。
この解放奴隷たちによって歌われたのがbluesである。Bluesが録音されて記録として残っているのは1920年代以降だが、bluesの成立は19世紀後半、南北戦争終了の数十年後と言われている。もちろんこの頃の記録は一切残っていない。製品としての蓄音機が市場に初めて登場したのが1877年。当然、当時は大変高価なものであり、価値のあるものと考えられたものしか録音されなかった。Bluesを歌った多くの黒人たちは、譜面を読めなかったし、歌詞も即興が多く、書き留めるということも全くと言ってよいほど行っていない。人々の心に残った歌だけが、歌手から歌手へと歌い継がれていった。
Bluesの源流は、労働歌(work song)にあると言われているので、南北戦争以前から存在していた古い曲のように思われがちだが、実際は、南北戦争後に解放奴隷たちが歌ったものが原型であり、ゴスペルなどより後に成立している。
奴隷制度終焉後に成立したBlues
ゴスペルやその源流となった黒人霊歌は、奴隷身分に置かれた黒人たちが救済と希望を歌にした。一方、奴隷身分から解放され、自由人となった黒人たちは、悲哀や絶望を歌い、bluesを生み出した。
皮肉なことに、奴隷解放宣言以降のアメリカは、黒人たちにとってさらに生きづらい社会へと変わっていった。
奴隷身分に置かれた黒人は「商品」であり、その持ち主にとっては「財産」である。もし、その黒人が何者かに襲われけがをしたり、亡くなったりした場合は、加害者は持ち主の財産権を侵害したことになり、賠償しなければならない。だが、自由身分である黒人が何者かに襲われ、けがをしたり殺された場合は、どうなるのか?ほとんどまともな捜査は行われず、仮に裁判になったとしても陪審員が全員白人の下で判決が下された。加害者が白人であった場合、罪に問われることはほとんどなかった。
南部諸州では、1876年以降、ジム・クロウ法と総称される諸法律が制定され、人種隔離と差別が法的に制度化されていった。これらの法律により、黒人は一般公共施設の利用が禁止、あるいは制限された。それ以前から、奴隷身分の黒人を一般白人と分ける隔離制度は生活の隅々にまで存在したが、それが社会制度として合法化されることになった。
自由身分となった黒人たちに対する白人の恐怖感はより先鋭化され、黒人への差別的言動や暴行、襲撃事件はより件数を増していった。また奴隷解放に反対する人々によって、KKKをはじめとした白人至上主義団体がいくつか結成されるが、それも奴隷解放宣言以降のことだ。
経済的な搾取、法律上の不平等、そして差別―――
奴隷制度が終焉し、自由身分になったと期待を抱いていた黒人たちを待ち受けていた現実はこのようなものだった。その時に抱く感情は、「絶望」以外の何物でもないだろう。
現代の日本を生きる自分にとっては、この時代の黒人たちの生活は、想像することさえ難しい。当時書かれたものや歴史関連の本を読んでみるとあまりに悲惨な境遇に言葉を失う。
19世紀後半、かれら解放奴隷が歌っていたbluesは、絶望的な心境を強く表したものが多かったらしい。怒りや悲哀など日々の苦しく辛い境遇は、すべて歌にして浄化していった。その後、blues singerたちは、不満や怒り、鬱憤だけでなく、日常の喜怒哀楽、恋愛模様など、思ったことは何でも歌にして歌った。Bluesは個人の内面を赤裸々に表現していった。
ゴスペルは神への祈りを、bluesは個人の悲哀を歌った。ゴスペルは教会で歌われる社会的、集団的なものであり、一方のbluesは、個人の感情深くに降りて行き、心の底の絶望や悲哀を歌にすることで個人の魂を癒していった。個人の内面に寄り添ったのがbluesだった。