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批判的読書のために ― M. J. アドラー / C. V. ドーレン『本を読む本』

本 晴筆雨読

今日の一冊
M. J. アドラー / C. V. ドーレン『本を読む本』講談社学術文庫 (1997)
Mortimer J. Adler, Charles van Doren, How to Read a Book, 1940

古典的読書論

 原著は1940年の刊行。

 戦前の古い著作ということもあり、長らく「教養主義的な読書論にとどまるのではないか」と思い込んでいて、手に取るのを避けていた。だが、たまたま古書店で安く入手したのをきっかけに読んでみると、その印象は大きく覆された。
 本書は、批判的読書(critical reading)の基本を体系的に説いた、きわめて実践的な一冊だった。(もっと早く読んでおくべきだった。)

 本書が示すのは、読書をいかに有効で、かつ意義ある営みにするかという明確な指針である。
その関心は、単なる知識の摂取や効率的な情報処理には向けられていない。むしろ、読書を通じて自らの価値観を築き、見識を広げていくことに主眼が置かれている。

 速読や効率性を強調しがちな現代の読書術とは対照的に、本書は読書の最終目標を「批評精神の確立」に据える。そして、その中核をなすのが「批判的読書」という方法論である。

批判的読書とは

 批判的読書とは、「読書とは技術である」という前提に立ち、その技術を体系的に鍛えるための実践的手法を指す。この方法論の核心にあるのは、「読む」という行為を受動的な情報受容ではなく、能動的な知的活動として再定義することだ。
 この前提に立って、アドラーは、読書の水準をいくつかの段階に分け、それぞれに応じた読み方を明確に区別する。

 まず、最も基礎的な段階が「初級読書(elementary reading)」である。これは、文字を追い、文章の意味を理解するという、いわば読書に慣れ、それを習慣化する段階を指す。
 しかし、多くの人はこの水準にとどまり、読書を終えてしまう。だが、本書は、そこから先にこそ、「読む技術」を身につけた者とそうでない者との差が現れる、本当の読書があると説く。

 次に「点検読書(inspectional reading)」が提示される。これは、短時間で本の全体像を把握する技術であり、いわば“本を下見する”読み方にあたる。目次や序文を確認し、重要な箇所を拾い読みすることで、その本が何を主張しているのか、また読むに値するかを判断する。

 この段階は、情報過多の現代においてとりわけ重要な技術だろう。ただし、こうした読み方を有効に機能させるためには、前提として十分な読書経験が求められる。多くの書物に触れてきた蓄積があってはじめて、本の価値や性質を見極める判断力が養われるからだ。

 そして、第三の段階が本書の中核をなす「分析読書(analytical reading)」だ。ここでは読者は著者と対話する存在となる。アドラーは、良い読者は常に問いを持ちながら読むべきだとし、以下のような問いを提示する。

  • この本は全体として何について書かれているのか
  • 著者は何を、どのように主張しているのか
  • その主張はどこまで正しいのか
  • その本にはどのような意義があるのか

 こうした問いを通じて、読者は単に理解するだけでなく、批判し、評価する主体へと変わる。読書はここで初めて「思考」と結びつく。

 さらに最上位の段階として「シントピカル読書(syntopical reading)」が挙げられる。これは複数の書物を横断的に読み比べ、一つの主題(テーマ)について自らの理解を構築する方法である。読者はもはや一冊の本の枠にとどまらず、複数の著者の議論を整理し、自らの問題設定に基づいて再構成する。この段階において、読書は完全に創造的な知的営為へと転化する。

 読書と向き合う際に、とりわけ重視されるのが、「著者と対峙する」姿勢だ。これは単なる感想の表明ではない。著作の論点を整理し、それぞれをどのように評価するのか、そしてその理由は何かを明確にする作業である。さらに著者は、批評における知的礼節にも言及する。浅い理解や感情的反発に陥っていないか常に振り返り、公正で根拠ある批評を行うべきだというのである。

 このように、批判精神を養いながら自らの価値観を形成していく過程こそが、読書を真に「自分のもの」にするということなのだろう。本書は、そのための具体的な指針を与えてくれる。


 少し話は逸れるが、日本の国語教育についても考えさせられた。

 本来、こうした読書技術は学校教育の中でこそ教えられるべきではないだろうか。ところが現状では、文学作品の鑑賞が中心となり、感想文を書かせることに終始している印象が強い。文章の客観的な把握や評価は軽視され、論理よりも情緒が優先されがちだ。

 さらに問題なのは、感想文である以上、本来は多様な解釈や意見が許容されるべきであるにもかかわらず、実際には道徳的・社会的に無難な結論へと誘導されることが少なくない点だ。その結果、似通った無難な答案ばかりが並ぶことになる。率直に言えば、それはもはや国語教育とは呼びがたい。


 話を本書に戻そう。

 「読解」とは、著者の意図や論点を正確に把握するための技術であり、「批評」とは、それに対して評価を与え、自らの価値観を築いていく営みである。こうした読解と批評の技術があってはじめて、批判的読書は成立する。本書は、そのための優れた入門書だと言えるだろう。


 最後に、翻訳について一言触れておきたい。

 本書には「シントピカル」という語が、ほとんど説明もないまま唐突に現れる。文脈から意味を推測することはできるが、やや分かりにくい印象は否めない。試みに「共主題」と訳し、「複数の書物に通底する主題」と捉えると、理解しやすくなるように思う。

M. J. アドラー / C. V. ドーレン『本を読む本』講談社学術文庫 (1997)

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