羊のぼう

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文学逍遥

田舎の巡査のドタバタ駐在日記 – 井伏鱒二『多甚古村』

井伏鱒二『多甚古村』(1939) 多甚古村——— 読み方は「たじんこむら」。裏手に山を控え、岸辺近くの南方のどこかの農村、ということまでしか分からない。 「国家危急の際」という言葉が作中、何度か出てくる。だが、人々の暮らしにそれほど逼迫した...
文学逍遥

敗戦後の人々の強かな姿 – 井伏鱒二 短編作品紹介

敗戦後の人々の姿を描く 敗戦という大きな断絶── だが、それでも日常は待ってはくれない。人々は、生きていかねばならない。そこには、人間の逞しさと哀しみが静かに息づいている。その姿を、井伏鱒二は声高に語ることなく、むしろ淡々とした筆致の中に描...
文学逍遥

勘定取立て珍道中記 – 井伏鱒二『集金旅行』

井伏鱒二『集金旅行』(1935)「しかし、それはお止しになったらどうです。あなたが是非とも行くと仰有るなら僕は妨害しませんが、それとこれとは問題の性質がちがいます。こちらは岩国の町だけではない、福岡にも、尾道という町にも、岡山にも神戸にも、...
文学逍遥

飄々とした表現の粋 – 井伏鱒二 初期短編作品の魅力

井伏鱒二 初期作品群の魅力 飄々として、軽妙な人物像。淡々として、起伏のない情景描写。 何が面白いのか、と言われれば、説明に困るような作品。。。それが井伏鱒二の短編に感じることだ。 しかし、文章は平易かつ的確で、目の前にありありと情景が浮か...
文学逍遥

手に届かないもの – 井伏鱒二『屋根の上のサワン』

井伏鱒二『屋根の上のサワン』(1929) わたしは足音を忍ばせながら傷ついたがんに近づいて、それを両手に拾いあげました。そこで、この一羽の渡り鳥の羽毛や体の温かみはわたしの両手に伝わり、この鳥の意外に重たい目方は、そのときのわたしの思い屈し...
文学逍遥

度重なる改稿を経た意味 – 井伏鱒二『山椒魚』

井伏鱒二『山椒魚』(1929)度重なる改稿 初出は『幽閉』という題で、1923年(大正12年)に早稲田の同人誌に発表されたもの。その後、大幅に改稿されて、1929年(昭和4年)、『山椒魚』という題で再発表された。 現在、一般的に読まれている...
哲学談戯

対話と議論の理論化 – アリストテレス『弁論術』を読む

アリストテレス『弁論術』(4c BC)対話への信頼 私は語り終えた。諸君はしかと聞いた。事実は諸君の手中にある。さあ、判定に入り給え。 よりよい答えとは、誰か一人の頭の中で完結するものではなく、複数の人間による議論や討論、すなわち「対話」を...
晴筆雨読

ギリシア語アルファベット一覧

大文字小文字英語読みカタカナ読みΑαAlphaアルファΒβBetaベータΓγGammaガンマΔδDeltaデルタΕεEpsilonエプシロンΖζZetaゼータΗηEtaエータΘθThetaシータΙιIotaイオタΚκKappaカッパΛλLa...
哲学談戯

なぜ人は愛するのか?──エロスへの賛歌 – プラトン『饗宴』を読む

プラトン『饗宴』(385 BC?)エロスをめぐる問い──哲学的文学作品 彼女は言った。『では、以上をまとめると、こうなる──エロスは、よいものを永遠に自分のものにすることを求めているのだと』 舞台は、前416年のアテナイ。ソクラテスは53歳...
哲学談戯

プラトン中期の代表作『パイドン』における魂の不死とイデアの世界──想起説とイデア論

絵画:ジャック=ルイ・ダヴィッド『ソクラテスの死』(1787)プラトン『パイドン』(385 BC?)魂という不滅不変の存在──見ることのできないものを知る 『パイドン』は、ソクラテスが死刑執行の場で毒杯を仰ぐ最期の姿を描いた対話篇。哲学的に...
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