CATEGORY

晴筆雨読

  • 2015年12月6日

阿部謹也『刑吏の社会史』(1978)

社会史とは何か  社会史とは何を対象にした歴史なのだろう? 歴史学の中でも政治史、経済史、法制度史、美術史、建築史といったものは、対象がはっきりしているので分かりやすい。しかし、社会史と言われると何をする学問なのか途端に分からなくなる。 この分かりにくさの由来は、社会史が「歴史の全体像」を追及すると […]

  • 2015年12月5日

阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(1974)

人々を解釈へといざなう民話  洋の東西を問わず民話は、単純な起承転結の物語になれている現代人にとって、非常に理解しにくいものが多い。 動物譚や英雄譚など子供が喜びそうな題材を扱っていながら、内容の意図がまったくつかめないため、なぜか読後に不安を感じさせる。意味が理解できないという状態は、本質的に人間 […]

  • 2015年6月16日

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(下巻)(1997)

個別の地域を検証する(下巻)  下巻は、まず文字の発明、技術の受容、社会の集権化を概説した後に、上巻で示した仮説を敷衍して個別の地域への検証を行っている。 大胆な仮説を提示した上巻に比べると、やっぱり、地味な印象はぬぐえない。だが、ところどころ興味深い事実の指摘があったり、独特の視点からの解釈などが […]

  • 2015年6月15日

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(上巻)(1997)

人類史という試み  原書は、1997年の刊行で20年近く前のもの。 訳書は、文庫版で上下二巻。  さすがに20年以上前の著作となると、現在の研究成果からは否定されているような説も部分的に散見される。 たとえば、著者は、ネアンデルタール人に関して、クロマニヨン人による滅亡説に近い考えを取っているが、現 […]

  • 2015年4月23日

大島直政『イスラムからの発想』(1981)

 一般のイスラム教徒には、異教徒と理解し合おうという思想はない、ということを心得ておかねばならない―――  異文化間での相互理解の基本は、「お互いを理解できないということを理解する」という点から始まる。相手を「理解できない他者」だと認めることは、相手が自分とは異なる価値観、世界観の下に生きていること […]

  • 2015年1月11日

M. J. アドラー『本を読む本』(1940)

批判的読書のために  原著は1940年の刊行。  戦前の古い著作で、単なる教養主義的な読書論を展開しただけの内容ではないかと思って長年読むのを敬遠していた本だった。だが、たまたま古書店で安く手に入ったのでふと読んでみたら、批判的読書critical readingの基本を説明した実践的な中身の本だっ […]

  • 2015年1月10日

外山滋比古『思考の整理学』(1983)

蓄積する知識から創造する知性へ  初出は1983年(文庫化は86年)。InternetやPCが一般化するずっと前の作品。  著者は、すでに本書のなかで、博覧強記といった知性の型はcomputerの登場で全くその価値を失った、と述べている。情報化時代といった言葉が話題になり始めていた頃だ。  確かに、 […]