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生成文法の源流──ノーム・チョムスキー『デカルト派言語学』が描く合理主義の系譜

哲学談戯

今日の一冊
ノーアム・チョムスキー『デカルト派言語学 – 合理主義思想の歴史の一章』みすず書房 (1976)
Noam Chomsky, Cartesian linguistics; A Chapter in the History of Rationalist Thought, 1966

言語の創造性はどこから生まれるのか

 ノーム・チョムスキーは、1950年代後半、それまでの言語研究とは大きく異なる文法理論を提唱した。その核心にあるのは、言語の「創造性」への着目だ。

 人間は、覚えた言葉や文章を再現するだけではない。これまで一度も聞いたことのない文を理解し、状況に応じて新しい文を作り出すことができる。チョムスキーは、この能力を経験から学んだ知識だけから説明することは非常に難しいと考えた。

 人間は、有限の語彙と文法規則を用いて、無限に多様な文を生み出している。この仕組みは、生得的な能力のひとつなのではないか。この発想が彼の言語理論の出発点にある。
 そして、チョムスキーは、それを明らかにするために、人間の言語知識を明示的な規則体系として記述しようとした。その理論が「生成文法」だ。

 チョムスキーが生成文法を考える上で重視したのは、言語の規則そのものだけではない。人間は、どのようにして言語を習得し、限られた経験から複雑な文法知識を獲得できるのか。彼は、この問題を人間の精神に固有の認知能力と結びつけて考えた。

 ここでいう生得性とは、特定の言葉や文章を生まれながらに知っているという意味ではない。言語を学び、理解し、新たな表現を生み出すことを可能にする基礎的な能力が、人間に備わっているという考え方だ。

 この立場は、人間の知識や能力を主として経験や環境から説明しようとする経験主義とは異なる。当時主流だった行動主義が経験主義の立場に立ち、刺激と反応、学習や環境を通じて人間の行動を説明しようとしたのに対し、チョムスキーは、心の内部にある規則体系と、それを可能にする生得的な認知能力に注目した。

 こうした問題意識は、1950年代後半以降の「認知革命」を促した重要な要因の一つとなった。認知革命とは、人間の心の働きを、情報処理や内部の表象・規則といった観点から科学的に解明しようとする研究上の転換だ。チョムスキーの言語理論は、言語を人間の創造的な知的活動として捉え直し、その背後にある精神の仕組みを解明しようとする試みだった。

生成文法の哲学的起源

 1966年に刊行された著書『デカルト派言語学』は、この生成文法の思想的系譜をたどる試みだ。チョムスキーは、その源流を17世紀の合理主義思想に求めている。

 デカルト哲学に代表される合理主義は、人間に生得的に備わる理性の能力を重視する。

 本書の中心的な課題は、この合理主義の哲学的伝統が、文法理論の中でどのように受け継がれ、発展してきたのかを明らかにすることにある。

 チョムスキーは、ルネ・デカルト、ポール・ロワイヤル学派の文法学者たち、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトらの議論を取り上げ、これらを生成文法の理論的な先駆けとして再解釈した。彼らに共通するのは、経験や学習だけでは人間の知識や能力を十分に説明できず、理性や精神に固有の働きを考慮する必要があるという発想だ。

 チョムスキーは、この思想的伝統を生成文法と結びつけ、言語能力の生得性や創造性を理解するための哲学的基盤として位置づけた。言語を、外部からの刺激に対する機械的な反応や、習慣の積み重ねとしてではなく、人間の精神に備わる規則体系に支えられた創造的な能力として捉え直す必要がある。

 『デカルト派言語学』の意義は、言語研究を文法の解明や記述にとどまらせず、「人間精神とは何か」という哲学的な問いと結びつけた点にある。言語の創造性を手がかりに、その背後にある認知能力の仕組みを解明しようとするチョムスキーの試みは、行動主義的な言語観への批判であると同時に、言語学と認知科学を結びつける理論的な基盤の一つとなった。

 では、チョムスキーは本書の中で、こうした言語観を、近代哲学の歴史の中に具体的にどのように位置づけたのか。その詳細を見ていこう。

合理主義思想とデカルトの言語観

 合理主義思想は、17世紀の哲学者 ルネ・デカルト に始まる。チョムスキーは、生成文法をはじめとする1950年代の「認知革命」の理論的源流をデカルトの思想の中に見ている。とりわけ彼が重視したのは、デカルトの言語理論に含まれる次の二点だ。

  1. 言語使用の創造性
  2. 精神の生得的能力

1. 言語使用の創造性──人間と動物・機械を分ける決定的特徴

 デカルトは、人間と動物や機械(オートマトン)を区別する決定的な特徴として、言語使用の創造性を挙げた。人間は、限られた語彙と規則を用いながら、状況に応じて無限に新しい文を作り出し、理解できる。これは単なる刺激への反応や過去の経験の反復ではなく、自発的で柔軟な能力だ。デカルトは、この創造的能力こそが、人間が「精神(res cogitans=思考する実体)」を持つことの明確な証拠だと考えた。

 チョムスキーによれば、デカルトの哲学を引き継いだ「デカルト派言語学」は、この言語の創造性を理論の出発点としている。

2. 生得的な組織化原理──創造性の本質

 創造性とは、過去の経験には存在しなかった新しいものを生み出す力だと言える。だとすれば、創造性は単なる経験の反復や模倣には還元できず、常に経験を超えた次元に根ざしていることになる。

 そして、このような創造性を可能にするためには、経験に先立つ何らかの能力を想定する必要がある。そこで重要になるのが、「生得的な組織化原理」という考え方だ。

 これは、経験によって後天的に獲得されるものではない。むしろ、外部から与えられる経験(言語データ)を意味のある知識へと変換するために、精神の内部にあらかじめ備わっている普遍的な条件を指している。

 チョムスキーは、従来の経験主義的な説明──習慣形成、条件づけ、模倣など──では人間の創造的な言語能力を十分に説明できないと批判した。人間が限られた経験から無限の文を生成・理解できるのは、精神内部に生得的な言語能力、すなわち後に「普遍文法」と呼ばれる枠組みが備わっているからだ。

 人間は外部の情報をそのまま受け取っているわけではない。
 生得的な組織化原理という枠組みを通して経験を整理・構造化することによって、はじめて創造的で自由な言語使用が可能になる。これが、デカルトから現代へ受け継がれる合理主義言語学の核心とされた。

ポール・ロワイヤル文法

 『ポール・ロワイヤル文法』は、17世紀フランスのジャンセニストたちによって書かれた文法書であり、近代言語学や普遍文法思想の先駆けとして重要視されている。

 この文法書の最大の特徴は、「言語は人間精神の構造を反映している」という考え方にある。

 従来の文法研究は、ラテン語やフランス語など、個別言語の規則記述に重点を置いていた。それに対して、ポール・ロワイヤル文法は、個別言語の背後に共通する普遍的原理を探ろうとした。つまり、彼らは、ラテン語やフランス語の違いを超えて、人間が思考する際に共通して用いる論理的構造が存在すると考えたのだ。

 そのため、この文法では、

  • 文法は単なる慣習ではなく、人間理性の反映である
  • 文の背後には、思考内容を表す深い構造が存在する
  • 表面的な語順よりも、意味や論理関係が重要である

 といった立場が取られる。

 要するに、ポール・ロワイヤル文法とは、「言語の背後には、人間精神に共通する普遍的・論理的構造が存在する」という思想に基づく文法理論だった。

 そして、この考えに基づいて、ポール・ロワイヤル文法は、文の表面的な形──ラテン語やフランス語など個々の言語として外部に現れる現実の物理的な発話・記述──と、その根底で意味の解釈を支える普遍的かつ抽象的な思考の構造を区別した。
 ポール・ロワイヤル文法における現代言語学への最大の貢献の一つは、この区分だったと言える。この考え方は、チョムスキーの「深層構造/表層構造」論の原型となった。

フンボルトの言語理論──デカルト派言語学の頂点と終局

 チョムスキー は、19世紀ドイツの思想家ヴィルヘルム・フォン・フンボルトを、「デカルト派言語学」の「発展の頂点」であると同時に、「その終局点」でもあると両義的に評価している。

 チョムスキーによれば、フンボルトはデカルト派言語学に最も近い立場にありながらも、同時にロマン主義的思想の強い影響下にあり、個別言語の独自性や民族的精神への関心へと傾いていった。そのため、普遍性への思考が徹底されることはなかったと見ている。

1. 動態的言語観

 フンボルト は、言語を完成された「作品(ergon)」としてではなく、絶えず生成され続ける「活動(energeia)」として理解していた。
 彼にとって、言語は単なる伝達手段ではない。むしろ、人間の思考そのものを形成する創造的な働きを持っている。フンボルトは、言語を単なる「完成した集塊(死んだ成果)」ではなく、「生成過程(活動=energeia)」として捉えていた。

 この動態的な視点の特徴は、言語を静的な道具ではなく、人間精神の創造的プロセスとして位置づけている点にある。ノーム・チョムスキー は、フンボルトの言語理論の現代的意義を、とりわけこの点に見出している。

 たとえば、フンボルトは、語彙を単なる記憶された単語の一覧とは考えなかった。人間は状況に応じて新しい表現を生み出しており、その背後には、適切な表現を組織的に生成する原理が存在すると考えた。

 また彼は、言語を、すべての部分が相互に結びついた一つの「有機体」として理解した。この視点では、基底にある形式や構造が各要素の役割を規定している。こうした考え方は、後の構造主義的言語観を先取りするものとしても評価されている。

2. 普遍性と相対性の同時実現

 フンボルトの言語理論の最大の特徴は、言語の「相対性」と「普遍性」を同時に追求した点にある。この点にこそ、フンボルトの思想が、普遍的構造を重視する合理主義的思考と、個別言語の独自性を重視するロマン主義的思考とが交差する地点に位置していることがよく表れている。

(1)言語の相対性──個別言語の独自性

 フンボルトによれば、各言語はそれぞれ独自の「世界把握の仕方」を持っている。
 人間は、同じ世界を単に異なる言葉で表現しているのではない。言語ごとに、世界を異なる仕方で切り分け、構造化し、理解している。
 この考え方は、後の「言語相対論(サピア=ウォーフ仮説)」に大きな影響を与えた。

(2)言語の普遍性──人類共通の構造

 一方でフンボルトは、個別言語の多様性の背後には、全人類に共通する普遍的な「言語形式」が存在すると考えていた。

 この普遍的言語形式は、人間精神の根本的構造を反映したものとされた。彼は、個々の言語の差異を認めつつも、その背後に共通する普遍的原理を探究しようとしたのである。

3. 批判的側面と理論的限界

 一方、ノーム・チョムスキーは、フンボルトの言語理論にはいくつかの限界があると指摘している。

 第一に、フンボルトは、言語の「有機的形式」が具体的にどのような構造を持つのかを、技術的・理論的に十分明確に説明していなかった。

 第二に、その結果として、個別言語の生成文法や、言語に共通する普遍的な構造を具体的に構築するに至らなかった。フンボルトは言語の創造性について重要な洞察を示したが、その創造性を可能にする構造や原理を、形式的な理論として明確に定式化することはできなかった。

 特に問題となるのは、言語が一定の規則に従いながら新しい表現を生み出す仕組みを、どのように説明するかという点だ。チョムスキーによれば、フンボルトの理論には、この「法則に支配された創造性」を具体的な文法の構造や規則によって説明するという課題が残されていた。その意味で、フンボルトの業績は、ポール・ロワイヤル学派などの先行する合理主義的な文法研究が到達した水準を、理論的に大きく超えるものではなかったとチョムスキーは評価している。

 チョムスキーはさらに、フンボルトの議論では、言語の創造的な使用と、言語体系そのものの歴史的な変化との区別が十分に明確ではない点も問題視している。

 ここで区別すべきなのは、既存の文法規則に従いながら新しい文を作り出す能力と、文法構造そのものが変化する過程だ。前者は、一定の規則のもとで新しい表現を生み出す「法則に支配された創造性」に関わる。後者は、言語の規則や構造そのものが変化する「改新」に関わる。チョムスキーは、フンボルトの議論では、この二つの現象が必ずしも明確に区別されていないと考えた。

 このように、フンボルトは、言語の創造性という重要な問題を提起した一方で、それを形式的な文法理論としてどこまで明確に説明できるかという課題を残した。チョムスキーは、この課題を生成文法によって引き継ごうとしたのである。

4. 歴史的な連続性をどう考えるか

 ここまで見てきたように、チョムスキーは、デカルト、ポール・ロワイヤル学派、フンボルトらの思想の中に、生成文法へとつながる重要な問題意識を見いだした。

 しかし、『デカルト派言語学』の歴史解釈は、すべての研究者に受け入れられているわけではない。本書には歴史解釈としての問題点も少なくない。

 第一に、チョムスキーが「デカルト派」と呼ぶ思想的系譜は、必ずしも歴史的に一貫した学派として存在していたわけではない。デカルトの哲学、ポール・ロワイヤル文法、フンボルトの言語理論は、それぞれ異なる時代や思想的背景のもとで成立している。

 第二に、これらの思想と20世紀の生成文法との間には、理論の目的や方法に大きな違いがある。近代の文法学者たちは、言語と理性、思考との関係を哲学的に考察した。一方、チョムスキーの生成文法は、人間の言語知識を形式的な体系として記述し、その獲得を可能にする認知能力を科学的に説明しようとする理論だ。

 したがって、両者の間に共通する問題意識があることと、現代の生成文法が過去の思想から直接的に発展したこととは、区別しなければならない。

『デカルト派言語学』は、近代の言語思想を現代の言語理論との関係から読み直した著作として重要である。チョムスキーの解釈は、近代の言語思想を理解するための一つの重要な視点を提供している。しかし、それは言語思想の歴史を唯一の筋道で説明するものではない。あくまでも、現代の生成文法の関心から、再構成された歴史観であることは、留意しなければならない。

言語を考えることは、人間を考えること

 それでも、『デカルト派言語学』が提起した問題は、現在においても重要だ。

 私たちは、言葉を使って世界を理解し、他者と意思を通わせ、複雑な思考を組み立てている。では、言語は単に情報を伝達するための道具なのだろうか。それとも、人間が考え、新しい意味を生み出すための根本的な能力なのだろうか。

 チョムスキーの議論は、後者の可能性に目を向けさせる。人間は、限られた言語経験から文法知識を獲得し、その知識を用いて、これまでにない文を理解し、作り出すことができる。この能力を説明するには、言語の規則だけでなく、それを獲得し、運用する人間の認知能力について考えなければならない。

 そして、この問いは言語学の内部にとどまらない。

 人間は何を生得的に備えているのか。経験によって得られる知識と、人間に共通する認知能力とは、どのような関係にあるのか。理性とは何か。人間の精神に共通する構造があるとすれば、それは言語の多様性とどのように両立するのか。

 『デカルト派言語学』は、こうした問題を、言語学と哲学の接点に位置づけた著作だ。

 言語を研究することは、言葉の仕組みを明らかにするだけでなく、私たち人間がどのような存在なのかを考えることにもつながっている。チョムスキーが近代哲学の中に見いだそうとしたのも、言語の創造性を手がかりに、人間の精神に固有の能力を解明するという問題だったのだ。

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