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純文学とは何だったのか──その制度の成立と終焉

方々日誌

純文学とは

 「純文学」とはなにか?

 それは、一言で答えることができる。
 純文学とは、イデオロギーである。

 何を言っているのか、って?
 こう言うと、文学を政治的な思想運動のように捉えているのか、と驚かれるかもしれない。しかしここで言うイデオロギーとは、もっと広い意味だ。

 近代日本において、「純文学」という言葉が果たしてきた役割を冷静に振り返れば、それがまさに一種のイデオロギーであったことが見えてくる。つまりそれは、「文学とは本来どうあるべきか」「人はどのように生きるべきか」という価値観の体系であり、その価値を維持し、正当化するための制度でもあった。

 純文学は、単なる作品の分類の一つではない。近代日本において「文化の正統性」を守るために作られた、制度的な枠組みだった。

純文学という制度

 明治以降、日本は急速に近代化・西洋化を進めた。政治・経済・社会の変革の中で、文学もまた「近代文学」として再定義される必要に迫られた。西洋の “litrature” の概念を元に、日本独自の解釈が加えられ、そこで生まれたのが、私小説を軸とし、自然主義の影響を受けた「純文学」の概念だ。

 それは、単に「娯楽ではない文学」という消極的な定義を超えて、積極的な価値基準を持っていた。その基準とは、以下のようなものだった。

  • 倫理的真剣さ
  • 内面性への誠実さ
  • 「生」そのものへの奉仕
  • 言語表現による、芸術性の追求
  • 産業化・大衆消費社会に対する精神的な抵抗軸

 これらは、文学を「商品」や「娯楽」から区別し、文学者に「社会の良心」としての役割を与えた。

 純文学の作家は、単に物語を書くのではなく、時代に対して「人間はどう生きるべきか」という問いを投げかけ、読者にその問いを受け止める姿勢を求めた。そこには、明らかに社会的な価値の創出をめぐる緊張感があった。

 そして、その価値にふさわしい作品を選別し、権威化するための制度も同時に形成されていく。文壇、大学、文芸批評、文学賞、出版社と作家のネットワーク──そうした制度全体が、「純文学」という概念を支えていた。

純文学は本質ではなく「言説の実践」である

 では、「純文学」とは結局、どの作品を指すのか。

 その答えは、ある価値観や制度の中で、純文学をめぐる言説の実践によって決まる、ということになる。

 文芸批評家のテリー・イーグルトンは、文学とは特定の時代・社会・権力関係の中で成立する「言説実践(discursive practice)」だと指摘している。純文学もまた、作品そのものに内在する本質によって定義されるものではなく、歴史的・社会的条件の中で構築された概念なのだ。

 純文学を「イデオロギー」として捉えるとは、まさにこの構築主義的な視点から、その成立条件と価値体系を問い直すことにほかならない。

イデオロギーを支えた根源的な問い

 では、このイデオロギーを実際に動かしていたものは何だったのか。当然、次にはそのような問いが浮かぶ。

 構築主義的な視点は、制度や権力の働きを説明する上で有効だ。だが、歴史的な偶然や権力による恣意性ですべてが、自由に決められるわけではない。イデオロギーとしての純文学が成立するためには、その核となる、より根源的な力が必要だった。

 それは、「人はどのように生きるべきか」という、極めて古くて、極めて新しい問いへの真剣な眼差しだ。

 この問いは、宗教が薄れ、伝統的な共同体が解体し、資本主義が生活の隅々まで浸透していく近代社会において、文学にしか担えない役割のように思われていた。政治思想でもなく、単なる道徳訓でもない。個人の内面を深く抉り、言葉の限界に挑みながら、それでもなお「生」の尊厳を問い続ける──それが純文学の矜持だった。

 少なくとも、純文学を支えていた人々は、そのような信念を共有していた。価値の共有があるからこそ、イデオロギーとしての言説も成立するのであって、それは決して無から生まれるものではない。構築主義が見落としがちなのは、そうした視点だ。

純文学の終焉

 純文学の根幹には、「人はどのように生きるべきか」という問いへの真剣な眼差しがあった。

 しかし、時代は変わった。

 高度経済成長、バブル崩壊、インターネットの登場、そして、スマートフォンとSNSの普及──社会環境の変化の中で、人々の価値観もまた大きく変化していく。
 「人はどのように生きるべきか」という問いは、「どのように生きてもいい」という相対主義と、「生きる意味など考える必要なはい」あるいは「社会の規則に従っていればそれでよい」という虚無的な保守的態度──実用主義に飲み込まれていった。

 もちろん、どんな時代にあっても、人々の間から、生きる意味を問う姿勢がなくなることはない。しかし、確実にその問いのあり様は変わった。

 かつて純文学が問いかけていたのは、「人はどのように生きるべきか」という、人間の存在一般に向けられた問いだった。しかし、そこから「人」という一般概念が消えて、「『私は』どのように生きるべきか」へと問いの形が変わっていった。

 公共性を失った「私」の内面をいくら掘り下げたとしても、そこに見いだされるのは空虚さだけだろう。孤立した個人の内面をどれほど見つめ続けても、そこに確固とした意味や価値の基盤を見いだすことはできない。
 こうして「自分らしさ」を探し続ける営みは、終わりのない自己探求へと変質していく。そして、生きる意味を問うことは、私的な世界に矮小化して、自分の社会的立ち位置だけを気にする自己啓発やライフハックが、その代替物として広がっていった。

 一方で、大衆社会はますます洗練され、文学はエンターテインメントの海に溶け込み、純文学と大衆文学の境界は曖昧になった。SNS時代にあっては、短く刺激的な言葉が価値を持ち、長く深い沈黙や内省は「読まれない」ものとなった。

 こうして、純文学というイデオロギーは力を失ったのだ。

 今や「純文学」という言葉は、書店の一角に残る教養主義者のための虚飾か、商業主義的な文学賞の選考で時折聞かれる古めかしい響きに過ぎない。
 道徳的真剣さは「説教臭さ」とみなされ、「生」への奉仕は自己啓発に置き換えられ、人間的深みを追求する言語は、即時的で刺激的な表現に押し流されていった。

 文学はもはや「抵抗」ではなく、市場の一商品となった。

 純文学の根幹には、「人はどのように生きるべきか」という問いへの真剣な眼差しがあった。

 そして、その眼差しが時代とともに失われたとき、純文学もまた、その歴史的役割を終えたのである。

追記

 日本で純文学がイデオロギーとしての力を保ったのは、1960年代までだったと思う。1970年に三島由紀夫が割腹自殺した際に、世間の大方の反応は──冷笑だった。このときに、日本の純文学の歴史は終ったのだと思う。それ以降の文学は、娯楽と商業主義、そして、自分を着飾るための虚飾の文章になった。それの良し悪しについては、ここでは問わない。しかし、文学作品に自分の生きる意味を投影する読み方が失われたことだけは確かなことだと思う。

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