井伏鱒二『屋根の上のサワン』(1929)
わたしは足音を忍ばせながら傷ついたがんに近づいて、それを両手に拾いあげました。そこで、この一羽の渡り鳥の羽毛や体の温かみはわたしの両手に伝わり、この鳥の意外に重たい目方は、そのときのわたしの思い屈した心を慰めてくれました。わたしはどうしてもこの鳥を丈夫にしてやろうと決心して、それを両手に抱えて家へ持って帰りました。
『山椒魚』と同年の発表。『山椒魚』と同じく、青年期の不安心理を生き物との関りの中で象徴的に描いた作品。
沼地の岸で、猟銃で打たれて傷ついていた雁(がん)を見つけた「わたし」は、それを家へと連れ帰り、傷の手当てをしてやることにした。
その時の「わたし」の心情は、次のように描かれている。
ちょうどそこへわたしが通りかかったわけで、そのときわたしは、ことばに言いあらわせないほどくったくした気持ちで沼地のほとりを散歩していたのです。
この作品の中には「くったく」という言葉が何度か出てくる。非常に短い作品の中で「わたし」の心情を表す言葉は、この一語しか出てこない。
傷ついたがんの存在は、くったくしたわたしの心に強く働きかけるものだった。この心理は、やがて、がんを手元に置いておきたいという独占欲、所有欲のようなものを芽生えさせる。
がんの傷が治ると、わたしは、がんの両翼の羽を短く切って飼うことに決める。そして、サワンという名前を付ける。
なるほど、わたしはサワンの水浴を見守るために沼地へ出かけたのではなく、わたしのくったくした思想を追い払うために散歩に出かけたのです。
しかし、季節が夏から秋へと移り変わると、サワンはやがて渡り鳥としての習性を表し始める。冬を迎える前に南の地へと渡っていかなくてはならない。渡り鳥のがんは、もともと人が飼うには適さない鳥だ。サワンは、屋根へと上がり、大空を渡るがんの群れを見つけて、大声で鳴き始めたのである。
わたしは外に出て見ました。するとサワンは屋根のむねに出て、その長い首を空に高く差し伸べて、かれとしてはできるかぎり大きな声で鳴いていたのです。かれが首をさし伸ばしている方角の空には、夜ふけになって上る月のならわしとして、赤くよごれたいびつな月が出ていました。そうして、月の左手から右手の方向にむかって、夜空に高く三羽のがんが飛んでいるところでした。
この作品の中では「サワン」という言葉の意味は、一切触れられていない。だが、井伏鱒二は、後にこのサワンが、月を意味するインドの言葉であることを語っている。
屋根へと上がり、夜空のがんの群れへと大声で鳴くサワンの姿に、夜ふけの月の姿が重ね合わされている。その月は、赤く汚れて歪な姿をしている。
サワンを呼び止める私の声は全くサワンに届いていない。そして、サワンはわたしの気が付かないうちにいつの間にか姿を消していた。
水底には植物の朽ちた葉が沈んでいて、サワンは決してここにもいないことがわかりました。おそらくかれは、かれの僚友たちの翼にかかえられ、かれの季節向きの旅行に出ていってしまったのでありましょう。
手には届かないもの、留めて置いてはいけないものを引き留めてしまったことへの悲しみ。サワンを引き留めておくことを諦め、サワンが仲間と共に旅だったであろうと想像した時のわたしには、きっとくったくした心は消えていたことだろう。
井伏作品の中で最も文学性の高い作品のひとつ。
新潮文庫『山椒魚』所収