勘定取立て珍道中記 – 井伏鱒二『集金旅行』

井伏鱒二『集金旅行』(1935)

「しかし、それはお止しになったらどうです。あなたが是非とも行くと仰有るなら僕は妨害しませんが、それとこれとは問題の性質がちがいます。こちらは岩国の町だけではない、福岡にも、尾道という町にも、岡山にも神戸にも、岐阜にも寄ることになっています。時機を改めてお出かけになったらどうでしょう」
 彼女は寧ろとりすました顔をして、彼女も自然の成行きで堅苦しそうに主張した。
「そうですかしら。でも、そう仰有られるとあたくしも言いたくなりますわ。あたしも、岩国だけでなく福岡にも尾道にも、大阪にも岡山にも岐阜にも古い恋人がいます。この際、ひとまとめにみんなから慰謝料をもらって来ることにいたしますわ」

 まさに「珍道中」といった作品。実は井伏作品の中で一番好きな作品だったりする。
 あっけらかんとした「明るさ」を感じる作風。井伏鱒二の作風というと、善悪の価値判断を安易に持ち込まず、目の前の出来事を淡々と語る描写、人物の心理には深入りせず、周囲の状況を積み重ねることで表そうとする人物像、といったところが特徴だろうか。こうした作風が、作品に一種の「明るさ」をもたらしているのだが、描いている時代は、戦中、戦後が多く、暗い世相を舞台としていることが多い。
 戦争と荒廃、その後の貧困という暗い時代を描きながらも陰鬱さを感じさせないのが、井伏作品の価値あるところなのだが、この作品は、はじめから暗い世相などを舞台にはしていない。

 著者37才の頃の作品で、文学作品を書くという気負いが抜けたのか、非常に軽妙な文体で喜劇を描いている。

 望岳荘というアパートの主人が幼い子供を残して亡くなった。アパートが抵当に取られて子供が路頭に迷ってはいけないと、家賃の未収金の回収を請け負った「私」。6年間の間に部屋代未納のまま逃げていったのが17人もいるという。4カ月分以上滞納している「大物」に狙いを絞って全国周りの旅を始めることになった。
 が。そこに一人、自分も行くという志願者が現れる。同じアパートに住むコマツという大変美人な中年の独身女性。その理由が振るってる。未収金を回収する先々に住んでいる自分を捨てた古い男たちから慰謝料を取るという。
 舞台は戦前だが、一人の強い女性像を描いているとことが、今読んでも色あせない面白さをこの作品に与えている。

 こうしてちぐはぐな二人の旅物語が始まる。コマツという女性は竹を割ったような性格。終始旅の主導権を握られている「私」は、旅の付添がどちらのあるのか分からなくなるような有様。二人の息が合っているのか合っていないのか、よく分からないギクシャクとしたやり取りが非常に面白い。

 中編喜劇の佳作。