Bluesの誕生は19世紀後半、南北戦争終結(1865)後の数十年間の間と言われている。南部諸州の解放奴隷たちの間で、広く自然発生的に生まれたのだろうが、当時の記録は全くないので詳細は分からない。
Bluesが記録として最初に残されたのは、1903年。ミシシッピ州のデルタ地帯を旅行していたW. C. ハンディが譜面に起こしたのが始まりとされる。それ以前からBluesと類似の音楽は、南部諸州の広い地域で演奏され歌われていたのだろうが、「Blues」という言葉で認識される音楽の発祥は、南部の中でも「Deep South」と呼ばれるルイジアナ州、ミシシッピ州、アラバマ州、ジョージア州、サウスカロライナ州が中心と見られている。そのDeep Southの中でも、特にミシシッピ川流域のデルタ地帯が最も初期のBluesの発祥地と考えられている。
その後、Bluesはセントルイス、シカゴ、ニューヨークなど黒人たちが職を求めて移住した都市を中心に広がり、1930年代にはアメリカ各地へと普及していった。
Bluesは都市部へ広まるにつれて、その形式を大きく変えていった。特にシカゴを中心に発展したBluesは、JazzやBoogieなど多様な音楽の影響を受け、バンド編成になり、電気で音量を増幅するようになった。この都会的な形式は、City Bluesと呼ばれるようになり、初期の南部のBluesとは区分されるようになった。一方、南部のBluesは、City Bluesに対して、Country Bluesと呼ばれるようになった(この場合の “country” という言葉は、Country Musicとは無関係である)。
南部のBlues、すなわちCountry Bluesは、貧しい黒人たちがお金がない中でも自分たちを表現するために生み出した文化であった。当時、最も安価に手に入れられた楽器はハーモニカで、次にギターが続いた。南北戦争終結後、軍楽隊が使用していた楽器が払い下げられたり、置き去りにされたりしたことで、それらが安価に流通したとされている。
ギターやハーモニカは演奏の自由度が高く、個人の感情を直接表現するのに適していた。特にスライド・ギターではビブラートを用いた豊かな表現が可能となり、悲しみや苦しみといった心情を伝えるうえで非常に効果的であった。
Country Bluesの中でもミシシッピ・デルタで生まれた最初期のBluesは、特にDelta Bluesと呼ばれている。今では、Country Bluesという言葉もあまり使われなくなり、Country BluesはDelta Bluesとほとんど同義の言葉となっている。
しかし、「Delta」という言葉にはやはり、特殊な響きがあると思う。
デルタ地帯は当時の黒人たちにとって決して良き思い出の地ではない。南北戦争が終わって奴隷身分から解放された多くの黒人たちが農場での仕事を求めてこの地に移住してきた。そこでの労働は過酷以外の何物でもなかったはずだ。デルタ地帯は広大な湿地の広がった地域で、ワニが徘徊し、しばしば洪水などの災害を引き起こし、多くの水難事故の現場となった。
それでも、ミシシッピ川の雄大な流れは、人々の郷愁を誘う存在であったのだろう。ミシシッピ川流域の自然の風景は、Bluesの中で何度も歌われ続けてきた。Bluesの12小節からなるゆったりとした曲調は、ミシシッピ川の壮大で緩やかな水の流れを想起させる。悲しみを込めてBluesを歌った歌い手たちは、その流れが自らの悲しみを洗い流してくれるように感じていたのかもしれない。
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