マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』講談社選書メチエ (2018)
Markus Gabriel, Warum es die Welt nicht gibt, 2013
新実在論(New Realism)
マルクス・ガブリエルの著書『なぜ世界は存在しないのか』は、現代哲学における「新実在論(New Realism)」を一般向けに提示した代表作だ。この本の中心的な主張は、題名そのままに、「世界(the world)は存在しない」という、一見逆説的な命題にある。
ただし、ここで言う「世界が存在しない」とは、「現実が存在しない」「すべては幻想だ」という意味ではない。むしろ逆であり、ガブリエルはポストモダン的相対主義や観念論を批判し、「現実は実在する」と強く主張している。そのうえで、「世界」という概念そのものを否定する。
以下、本書の論点を整理してみよう。
1.「世界」とは何か
ガブリエルが否定する「世界」とは、
「存在するものすべてを包み込む、究極の全体」
のことだ。
私たちは通常、「宇宙」「現実」「すべてのもの」を一つの巨大な全体として想像する。しかしガブリエルは、この「すべてを含む全体」という発想自体が矛盾していると考える。
なぜなら、「世界全体」を対象として捉えた瞬間、その世界を眺めるための“外部視点”を暗黙に仮定してしまうからだ。しかし、「すべてを含むもの」の外部は存在しえない。したがって、「世界全体」という対象そのものが成立しない。
これが、「世界は存在しない」という主張の基本構造である。
2.存在とは「意味の場」に現れること
本書で最も重要なのは、ガブリエル独自の存在論だ。
彼は、存在するとは、
「意味の場(field of sense)」に現れること
であると定義する。
ここでいう「意味の場」とは、あるものが成立する文脈・領域・秩序のことである。
たとえば、
- 素数は数学の意味の場に存在する
- 国家は政治の意味の場に存在する
- 小説の登場人物は文学の意味の場に存在する
- 神は宗教の意味の場に存在する
などだ。
重要なのは、「存在=物理的実在」ではない点だ。
たとえば、シャーロック・ホームズは現実のロンドンには存在しない。しかし、「存在しない」のではなく、小説という意味の場の中には確かに存在している。
つまり、ガブリエルの考えでは、「存在」を単一の物理世界に還元しない。
3.なぜ「世界」は存在しないのか
ここで彼の議論が核心に入る。
もし存在とは「意味の場に現れること」だとすると、「世界」が存在するためには、
世界そのものが現れる“意味の場”
が必要になる。
しかし、「世界」とは、その定義上、すべての意味の場を含む全体なのだから、それをさらに包み込む上位の場は存在しない。
したがって、「世界」は存在条件を満たせない。
つまり、
- 個々のものは存在する
- 多様な意味の場も存在する
- しかし、それらすべてを統合した「究極の全体」は存在しない
という結論になる。
4.「新実在論」とは何か
ガブリエルはこの立場を「新実在論」と呼ぶ。
彼が批判する相手は、大きく二つある。
(1)科学主義
「本当に存在するのは物理学的対象だけだ」という考え。
ガブリエルはこれを否定する。なぜなら、数学・倫理・芸術・宗教・法律なども、それぞれ固有の意味の場において存在しているからである。
つまり、科学は一貫した説明体系として重要だが、それが存在の唯一の基準ではない。
(2)ポストモダン的相対主義・構築主義
「現実はすべて言語や権力構造によって作られる」という考え。
ガブリエルはこれにも反対する。
彼にとって、意味の場は人間が恣意的に作る幻想ではなく、それぞれ固有の客観性を持つ。したがって、「真理」は存在する。
彼は、相対主義を超えつつ、同時に単純な物理主義にも戻らない第三の道を探っている。
5.本書の背景にある哲学史
この本は、現代哲学の長い流れに対する応答でもある。
背景には、
- イマヌエル・カント以来の「人間は世界そのもの(物自体)を認識できない」という問題
- マルティン・ハイデガーの現象学的存在論
- ポストモダン思想
などがある。
ガブリエルは、それらを踏まえながら、
人間の認識とは無関係に現実は存在する
という実在論を復活させようとした。
ただし彼の実在論は、「単一の物理世界」という古典的実在論ではなく、
「多数の意味の場が並立する多元的実在論」
である点に特徴がある。
6.この本の核心
本書の核心を一言でまとめるなら、
「存在するものは無数にある。しかし、それらを一つに統合した“世界そのもの”は存在しない」
ということである。
これは単なる言葉遊びではなく、
- 科学万能主義
- 相対主義・構築主義
- ニヒリズム
- 「すべてを一つの原理で説明したい」という形而上学
に対する批判として提示されている。
その意味で、この本は「世界とは何か」を問う本というより、
「“世界”という発想そのものを疑う本」
だと言うことができるだろう。


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