PR|記事内に広告が含まれています。

インド思想の源流──ヴェーダからウパニシャッド、ヒンドゥー教、ヨーガへ

ヒンドゥー教クリシュナ像 晴筆雨読

インドの思想と宗教の形成

 インド北西部のインダス川流域では、紀元前2600年頃から、優れた都市計画や排水設備を備えた高度な都市文明──インダス文明が栄えた。しかし、この文明は紀元前1800年頃には衰退を迎え、その後の展開は長らく謎に包まれていた。

 インダス文明の衰退と前後して、紀元前1500年頃から1200年頃にかけて、インド・イラン系のアーリア人が中央アジア方面からパンジャーブ地方に移動・定住し始めたとされる。彼らはサンスクリット語に基づく宗教的・詩的文献を口承し、やがてその中心的文献である『リグ・ヴェーダ』が成立した。ここに、現代ヒンドゥー教の源流にあたるヴェーダ宗教が始まる。

 この時期は「ヴェーダ時代(ヴェーダ期)」と呼ばれ、紀元前1500年頃から紀元前600年頃まで続いたとされる。ヴェーダ文献は当初、厳密な口承によって継承されていたが、紀元前1000年頃から次第に文書化が進み、後代のインド思想や宗教に多大な影響を与える膨大な古典文献群の基盤が築かれていく。

 紀元前5世紀頃までには、ヴェーダの宗教を基盤としつつも、それに対する批判的思索も活発化し、インド古代思想の独自性が明確に現れてくる。釈迦やマハーヴィーラに代表される出家者の思想、すなわち仏教やジャイナ教もこの時代に生まれている。

 このような思想的展開が、果たしてインダス文明からの連続的な内発によるものなのか、それともアーリア人の文化的影響によるものなのかについては、現在でも学術的な合意は得られていない。しかし、紀元前5世紀頃には、輪廻、業(カルマ)、解脱といった独特の世界観が思想の核として浮上し、インド思想の基本的性格が形を取り始めたといえる。

ヴェーダ的世界観とインド思想の源流

 熱帯・亜熱帯の自然環境に囲まれたインドでは、古代より自然との密接な関係が人々の精神構造を形づくってきた。自然は人間と対立する外在的な対象ではなく、人間の存在そのものを含みこむ、全体としての生命の流れと捉えられていた。この自然との連帯感は、インド的な世界観の根幹をなす。

 一方で、人間の知覚や理性を超えた不可視の力の存在が深く信じられていた。人々は、この力が自然界のあらゆる現象に内在し、時には人格化された神々として現れると考えた。たとえば、風神ヴァーユ、火神アグニ、雷神インドラなど、ヴェーダ文献に登場する神々は自然の諸力を象徴している。

 加えて、これらの自然的・神的な力は、秩序だった宇宙の法則としても理解されていた。それが「天則(リタ ṛta)」である。リタとは、季節の巡りや昼夜の交替、天体の運行など、自然界に見られる規則的な秩序の背後にある宇宙的原理であり、倫理的秩序とも密接に関係していた。人間がリタに従うことは、神々の掟に従うことと同義であり、逆にこれに背くことは「罪穢(エナス enas)」を生じさせると考えられた。

 この罪穢は、単なる心理的な後悔や道徳的非ではなく、実体として作用する汚れであり、個人間に伝染し、儀礼的に除去されるべきものと捉えられた。そのため、罪穢を浄め、宇宙秩序との調和を回復するための手段として、呪術や祭式(ヤジュニャ)が整備されていった。ヴェーダ時代においては、祭式の正確な実施が宇宙の秩序を支えるものとされ、祈りや賛歌、供物を通じて神々との交渉が行われた。

 このような自然との融合的関係、超自然的存在との儀礼的交流、そして罪穢の実体的把握と浄化の重視は、熱帯・亜熱帯地域のアニミズムに広く見られる特徴でもあるが、インドにおいてはこれが一層深化し、思想として体系化されていく。とりわけインド思想を特徴づけるのは、人間が超自然的な力と直接的に交わろうとする強い志向性である。

 この発想の延長として、一部の人々──後のリシ(聖仙)や隠者、ヨーギー──は、外的な祭式を離れ、内的な沈黙や瞑想を通じて、自己の内に潜む宇宙的原理との合一を目指すようになる。こうして、体験に基づく直観的な知(プラジュニャー)が重視されるようになり、忘我的な孤独の体験から得られる智慧が、宗教的・哲学的な価値の頂点に置かれるようになる。

 このような世界観と宗教的感受性は、ヴェーダ文献の中にすでに兆しを見せており、後のウパニシャッド思想、さらには仏教・ジャイナ教・ヨーガ・ヴェーダーンタといった多様な思想潮流へと受け継がれていく。すなわち、「内なる超越」との接触を求める体験主義的志向こそが、インド思想の核心的特質であり、この点に注目することで、インド宗教哲学の全体像を一貫した流れとして捉えることが可能になる。

ブラーフマナからウパニシャッドへ──祭式主義から内面的探究へ

 紀元前800年から600年頃にかけて、ヴェーダ文献群の一部としてブラーフマナ文献が成立した。ブラーフマナとは、ヴェーダの賛歌(サンヒター)を解釈し、それを祭式という実践を通して再現しようとする試みである。この文献群では、各種の儀礼の手順や規則に加え、それに伴う神話的・象徴的な意味づけが詳細に述べられている。

 ブラーフマナにおいては、ヴェーダ詩聖たちが苦行(タパス tapas)を通じて感得した真理や顕示(啓示)を、祭式という形で再演・伝承することが重視された。そのため、祭式は単なる形式的行為ではなく、宇宙秩序(リタ)と交信し、維持するための神聖な行為と考えられた。祭式の意味を深く解釈し体系化する中で、「梵(ブラフマン brahman)」という宇宙の根本原理や、「名と形(ナーマ・ルーパ)」といった現象世界の構造に関する理解が形成され、因果律や創造原理に関する思索が進展していった。ここには、知識(ヴィディヤ)の体系化と知的探究を尊重する思想風土が現れている。

 しかし、時代が下るにつれて、祭式そのものの形式化と形骸化への疑問が生じるようになる。その結果、祭式主義の外面を超えて、宇宙の本質や自己の根源的存在を直接的に探究しようとする新たな思想潮流が生まれる。これが、インド哲学の原点ともされるウパニシャッド思想である。

 ウパニシャッドは、初期のもの(「ヴェーダ・ウパニシャッド」)が紀元前6世紀頃から形成されはじめ、祭式から内面への転回を象徴している。ここでは、人間の精神の奥底への沈潜を通じて、自己の絶対的中心としての「アートマン(ātman)」という概念が現れる。アートマンとは、感覚や思考を超えた純粋な認識の主体であり、経験されるいかなる対象でもない、対象を照らす主観そのものとして捉えられる。

 さらに、このアートマンこそが、宇宙の根源原理である「ブラフマン(brahman)」と本質的に同一である、という思想が展開される。すなわち、「自己(アートマン)=宇宙(ブラフマン)」という同一性が哲学的直観によって把握されることになる。

 しかし、このアートマンは現象世界に囚われ、業(カルマン karman)によって輪廻(サンサーラ saṃsāra)を繰り返しているとされる。この輪廻の連鎖から解き放たれ、究極的自由に至る道が、解脱(モークシャ mokṣa)である。こうして、個人の精神的自由の探求が、宇宙の真理の認識と不可分であるという壮大な宗教哲学体系が築かれていった。

 このようにして、ヴェーダ祭式の外面的行為を超えて、精神の内奥にこそ宇宙の根本原理を探し求める思想が生まれた。ウパニシャッドは、宗教と哲学、個と宇宙、内面と外界を架橋する思想として、以後のインド哲学全体に決定的な影響を与えることになる。

『マハーバーラタ』とヒンドゥー教の形成

 ヒンドゥー教は、インド古来のヴェーダ宗教を基盤としつつ、長い時間をかけて形成された複合的な宗教伝統である。その発展において決定的な役割を果たしたのが、叙事詩『マハーバーラタ』と、それに続くプラーナ文献群である。これらの文献を通じて、ヒンドゥー教は概ね4世紀頃(グプタ朝時代)までに体系的な形を整え、王侯・バラモン層から一般民衆に至るまで、インド社会全般に深く浸透していった。

 ヒンドゥー教の成立は、紀元前6世紀頃から広がったジャイナ教仏教といった、新興の非ヴェーダ系宗教の挑戦と深く関係している。これらの宗教は、ヴェーダの権威や祭式主義を否定し、倫理的実践や内面的解脱を重視する教えを広めた。こうした潮流に対抗する形で、ヴェーダ伝統に立脚する宗教は、自らの教義と実践を再編し、神への信愛(バクティ)や、道徳・社会秩序(ダルマ)を強調する方向へと進んでいった。その中核となったのが『マハーバーラタ』である。

 『マハーバーラタ』は、パーンダヴァ兄弟とカウラヴァ兄弟の対立を軸とする壮大な叙事詩であり、同時に無数の神話、哲学的議論、倫理的教訓を含む宗教・文化の宝庫でもある。中でも重要なのが、その中に含まれる『バガヴァッド・ギーター』であり、ここでクリシュナ神が語る教えは、カルマ・ヨーガ(行為の道)バクティ・ヨーガ(信愛の道)ジュニャーナ・ヨーガ(知識の道)といった主要な宗教実践の方向性を示している。

 この叙事詩的世界観においては、宇宙は主宰神(特にヴィシュヌやシヴァ)によって維持され、個々人はその意志と秩序(ダルマ)に従って行為すべき存在とされる。このような思想は、バラモンを中心とするヴァルナ制度(カースト制度)を宗教的に正当化する基盤となり、インドにおける宗教的・社会的秩序の形成に大きな影響を与えた。

 したがって、『マハーバーラタ』は単なる神話文学ではなく、ヒンドゥー教の信仰体系と社会思想の中核的基盤を形づくったテクストであり、その成立と普及は、ヒンドゥー教の宗教としての完成とインド社会への広範な定着において決定的な意義を持つといえる。

バガヴァッド・ギーター──行為と信愛の哲学

 『バガヴァッド・ギーター』は、インド叙事詩『マハーバーラタ』の一部にあたる詩文であり、全18章、約700詩節から成る哲学的対話である。その内容は、単なる挿話を超えて独自の宗教哲学体系を構成しており、しばしば「ギーター・ウパニシャッド」と呼ばれるように、一つの独立したウパニシャッド的教えを成すとされている。

 物語の舞台は、パーンダヴァ軍とカウラヴァ軍が戦う直前のクルクシェートラの戦場である。主人公アルジュナは、親族同士で殺し合う戦いを前にして深い苦悩に陥るが、その御者を務める神クリシュナが語りかけ、宗教的・哲学的教示を与える。この対話が『バガヴァッド・ギーター』の核心である。

 ギーターの哲学的特異性の一つは、サーンキヤ学派に先駆けて「精神(プルシャ puruṣa)」と「物質(プラクリティ prakṛti)」の二元論的世界観を提示している点にある。すなわち、認識主体としての精神(プルシャ)と、感覚対象・身体・思考などを含む物質的自然(プラクリティ)は本質的に異なる存在とされる。

 しかし、ギーターにおいてはこの二元論の上にさらに、すべてを超越し、かつ内在する最高存在としての「神(イーシュヴァラ)」が想定される。この最高神は、世界の第一原因にして、宇宙の運行と秩序の根本原理であると同時に、すべての存在に偏在する内在的原理でもある。つまり、この神は超越と内在の両面を併せ持つ

 ギーターにおける神は、人格神クリシュナとしてアルジュナの前に現れるが、それは単なる神話的存在ではなく、プルシャとプラクリティを超えて、それらを統合・支配する絶対的実在である。この神の本性は、「すべてのアートマン(自己)」の深奥に宿っており、人間の本質はこの神性に与っているとされる。

 したがって、ギーターにおける救済とは、自我(エゴ)や欲望に囚われた行為から解放され、神の意志に従った無私の行為(カルマ・ヨーガ)を通じて、神との一致を目指すことにある。神は愛(バクティ)の対象でもあり、自己を神に完全に委ねることで、個人は永遠の存在へと到達できる。ここには、行為・知・愛を統合したヒンドゥー教的宗教実践の原型が示されている。

 このように『バガヴァッド・ギーター』は、ウパニシャッドの哲学的内省と、サーンキヤの形而上学、そしてバクティ(信愛)という信仰の要素を総合した、ヒンドゥー教の神観と救済思想の中心的文献であると位置づけられる。

古典サーンキヤ哲学──世界の二元構造と解脱の論理

 サーンキヤ学派は、インド六派哲学(ダルシャナ)の一つとして、紀元3〜4世紀頃にイーシュヴァラ・クリシュナによって理論的に体系化されたとされる。その中心的特徴は、精神原理である霊我(プルシャ puruṣa)と、物質原理である根本原質(プラクリティ prakṛti)との間に、完全かつ徹底した二元的区別を認める点にある。このような明確な二元論は、古今東西を通じても極めて独自性の高い哲学的構造を持つ。

 プルシャとは、不生不滅・非物質的・不変・純粋な観照者であり、意志や活動性を持たない無為の意識主体である。無数のプルシャが存在するが、それぞれが独立した個別の自己(アートマン)として存在し、世界に直接関与することはない。対照的に、プラクリティは三性(グナ:サットヴァ・ラジャス・タマス)によって構成される物質的原理であり、潜在的にすべての現象を内包しながら、変化と展開の源として宇宙を生成する。

 このプラクリティは、プルシャに「見られる」ことで均衡状態から擾乱され、進化的変化を開始する。まず理知(ブッディ buddhi)が生じ、そこから我執(アハンカーラ ahaṃkāra)が発現し、さらに感覚器官(インドリヤ)や心(マナス manas)、さらには物質世界へと展開していく。こうして人間の心身や世界の構造が形成されるが、それはあくまでプラクリティの変容によるものであり、プルシャ自身は不動で関与しない。

 しかし、プルシャとプラクリティが共存している限り、プルシャは自己を世界に巻き込まれた存在であると錯覚し、「我」という誤認(アヴィディヤ)に陥る。この誤認こそが、輪廻の根本原因であるとサーンキヤは見る。

 したがって、サーンキヤ哲学における解脱(モークシャ)とは、プルシャとプラクリティが本来的に異質かつ無関係な原理であることを識別(ヴィヴェーカ)によって明らかにすることに他ならない。解脱においては、プルシャは一切の混淆から離れ、自己が本来無為・不動の純粋意識であることを回復する。この時、プルシャにはもはや知覚も欲望もなく、ただ純粋な見手(観照者)としての静止状態があるのみである。

 このようにサーンキヤでは、輪廻の終焉=涅槃(ニルヴァーナ)は、単なる魂の救済ではなく、哲学的な識別による徹底した存在論的理解によって成立する状態とされており、インド哲学史上において理性と識別知による解脱を最も明確に理論化した体系の一つとなっている。

古典ヨーガ──実践と解脱をめざす体系的哲学

 ヨーガ(Yoga)は、本来「統一・結合」を意味する語であり、古くから心身の制御と精神集中を目的とする多様な実践体系として発展してきた。バラモン教的な苦行や、仏教・ジャイナ教などの瞑想技法とも交錯しながら、その思想的背景は広範囲に及ぶが、一つの哲学体系として整理・体系化されたのは、おおよそ5世紀頃のパタンジャリによる『ヨーガ・スートラ』においてである。

 この『ヨーガ・スートラ』は、実践的手法(アビヤーサ)だけでなく、解脱(モークシャ)に至るまでの理論的枠組みを明確に打ち立てており、その形而上学的基礎には古典サーンキヤ哲学の思想が大きな影響を与えている。ただし、サーンキヤが「神(イーシュヴァラ)」の存在を認めないのに対し、ヨーガでは「イーシュヴァラ(至高の自己)」の存在を肯定しており、この点が両者の主たる相違とされる。

 ヨーガの最終目標は、心(チッタ citta)の働き(ヴリッティ vṛtti)を完全に止滅(ニローダ nirodha)させることである。『ヨーガ・スートラ』の冒頭には、次のように述べられている。

「ヨーガとはチッタ・ヴリッティ・ニローダ(心の働きの止滅)である」

『ヨーガ・スートラ』(1章2節)

 ここでいう「心の働き」とは、外界の対象に対して生起する認識作用・記憶・想像・睡眠・誤認などのあらゆる心理活動を指す。これらの活動が無自覚に生じることにより、人間は変化し続ける現象(プラクリティ)を「自分自身(プルシャ)である」と誤認し、苦(ドゥッカ)と輪廻(サンサーラ)の連鎖に囚われる

 ヨーガの修行は、こうした誤認をもたらす心の働きを制御・停止し、自己の本質である純粋意識(プルシャ)を識別的に認識することを目的とする。最終的に、プルシャはすべての物質的表象(プラクリティ)から完全に離脱し、観照者としての純粋な独在(カイヴァリヤ kaivalya)に到達する。そこではもはや欲望も苦悩もなく、完全な静安(シャーンティ)と自由(モークシャ)が成立する。

 このように、古典ヨーガは、単なる修行法にとどまらず、心の構造と存在の本質に関する哲学的理解を基盤とした、認識論的・解脱論的体系として成立しており、後代のインド宗教哲学に深い影響を与えている。

参考

ヤン・ゴンダ『インド思想史』(1948)

コメント

タイトルとURLをコピーしました