仏像

インド仏教小史 – ヤン・ゴンダ『インド思想史』~仏教理論編~

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 J・ゴンダ『インド思想史』のまとめ続き。今回は仏教について。

ブッダの不可知論

 ブッダは悟りを開いた当初、自らが達した解脱智を人々に説くことを躊躇していた。しかし、世俗化する祭式主義と出家などの苦行主義とに両極化する中で、人々が苦しみの中に置き去りにされている現実を憂いて、考えを改め、人々に解脱への道を示すことを決断する(梵天勧請)。ここからブッダの伝道の旅が始まる。

 ブッダは、サールナート(鹿野園)で最初の説法(初転法輪)を行い、後に「四聖諦」「八正道」「中道」としてまとめられる教理を説く。
 四聖諦は、この世は一切が苦であるという「苦諦」、苦の原因は煩悩、妄執であるという「集諦」、執着を断つことが、苦悩の滅却であるという「滅諦」、苦悩を滅却し、悟りに至るため真理としての「道諦」の四つから成る。
 そして、この最後の道諦は、八正道という実践によって示される。八正道は、中道の理想を体現したものだ。ブッダは、快楽と苦行の両極を退け、中道の中から人々へ涅槃へと至る実践の道を示した。

 ブッダの思想は、ヴェーダのような梵への到達を目指すものではなく、むしろ、それから一切離れること、すなわち、涅槃へと至ることを中心とした。しかし、ブッダの説法の中には、涅槃がいったいどのような状態であるかの具体的な説明は与えられていない。
 涅槃は体験すべきものであり、理解するものではない。それに至る実践こそが、まず重要であり、涅槃への理解は、実践にとっては、重要な意味を持たない。

 ブッダは、真理は思弁を通じてではなく、実践によってのみ知り得るとした。
 また、世界は永遠か否か、有限か無限か、魂は存在するか、人は死後どうなるか、といった問いにも一切の答えを与えなかった。そこには、思惟を意識的に制御する態度が窺われる。

 ブッダは徹底した実践主義だった。知識が人々を救うのではない。正しい実践に基づく瞑想こそが、救済への道なのである。
 ブッダのこの立場は、思惟による真理の把握を退け、不可知論として受け入れられていく。

根本分裂

 仏陀入滅のおおよそ100年後、戒律の解釈を巡って、仏教徒の教団が分裂する。最初の分裂といわれていて、これにより、上座部と大衆部が成立する。この分裂は、根本分裂と呼ばれる。

 上座部は、西暦紀元前1世紀頃、セイロンを中心にパーリ語で経典を編纂しているが、インド西北部ではサンスクリット語による編纂も行っている。このサンスクリット語経典から、上座部において最も有力となった「説一切有部」が成立している。

 仏教は、永遠に繰り返す生成と離散、そしてそれを律する「法」の存在だけを認める。法は、因果律の支配を受け、常に移り行く現象の基礎となる。この法に支配された現象を「有為」と呼ぶ。

 上座部では、この法によって現れた現象を「五蘊」としてまとめている。物質界と精神界は、五蘊、すなわち、色(物質)・受(感覚)・想(表象)・行(意志)・識(意識)の五つの聚合(集まり)が互いの因縁によって仮に集まってできあがる。

 説一切有部では、この法とは何かという問いに対して、形而上的な体系を作ることに努めた。そこでは、法は実在だけではなく「潜在力」もすべて法と見做された。法は超越的に存在し、経験界に刹那的に作用する。この法の超越性と一時的発現は厳密に区分され、その結果、法の発現には、過去、現在、未来のすべての潜在的実在性が含まれることになる。

 この法理論の結果、因果律によって移り変わる現象とともに、人が自我、自己と思うものも、実際は、仮に集まってできた聚合でしかない、とされる。ここに仏教の基本となる「無我」の教理が成立する。

 しかし、説一切有部では、「人格的存在の流れ」が連綿と続いていくことを認めている。それは、因果律によって導かれる「縁起」によって説明される。潜在的構成力としての行(意志)が「業」として、次の現象の成り行きを決めていくのである。

 こうして、原始仏教では、梵と神の存在が否定され、自己自身に起因する「業の法則」のみが、世界の存在と自身の苦しみを説明することになる。

大乗仏教

 自己自身の解脱によって阿羅漢となること目指す従来の仏教を批判的に見做す立場が、紀元前後から現れ、ブッダの法に帰依することで菩薩道を修めること、そして菩薩による衆生の救いを信じることを説いた。

 そして、真理は幾度となく顕示され、後代において顕示されたものほど、高度なものとされた。この考えからは、ブッダ自体も永遠的真理の一時的な顕現とされた。

 これにより、後代の教理が正当化され、仏教の多様な発展を許していくことになる。この立場は大乗と呼ばれ、3世紀頃に竜樹によって体系化されていく。

 大乗仏教では、ブッダが真理の顕現とされたことで、ブッダの真の本性が問題とされるようになった。そこで登場してきたのが「三身説」である。

 ブッダは、真理そのものとしての法身、神として現れた報身(阿弥陀仏)、この世に人の姿として現れた応身(釈迦牟尼仏)という三つの姿で捉えられる。
 ここにおいて、ブッダは宗教的な神として、菩薩は宗教の理想と実践として、信仰されていくようになる。

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