晴筆雨読 インド思想の源流──〈自己〉を問い直す思想:仏教の誕生と展開 仏教──「自己」を問う思想の転換点 ヴェーダ的宗教思想とその後のブラフマニズムが宇宙と人間の根源的結合、すなわちアートマン(自己)とブラフマン(梵)の一体性を説いてきたのに対し、仏教はその前提そのものを根本から問い直した思想運動である。紀元... 2016.11.06 晴筆雨読
晴筆雨読 インド思想の源流──ヴェーダからウパニシャッド、ヒンドゥー教、ヨーガへ インドの思想と宗教の形成 インド北西部のインダス川流域では、紀元前2600年頃から、優れた都市計画や排水設備を備えた高度な都市文明──インダス文明が栄えた。しかし、この文明は紀元前1800年頃には衰退を迎え、その後の展開は長らく謎に包まれて... 2016.11.05 晴筆雨読
晴筆雨読 仏教の原点を問う:ブッダ本来の教えとは?──非我の理解と執著の断絶 ブッダ本来の教えを知るために ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)は、紀元前5世紀頃、インド北部、現在のネパール国境付近にあったシャーキャ国の王族として生まれた。彼は29歳で出家し、6年間の厳しい修行を経て、ブッダガヤのアシヴァッタ樹(ピッパラ... 2016.11.03 晴筆雨読
晴筆雨読 日本人の知らない日本の宗教 – トーマス・カスーリス『神道』 トーマス・カスーリス『神道』(2004)神道の本質に迫る異文化的視座 2004年刊行。翻訳は2014年。 著者トーマス・カスーリス氏は、アメリカにおける日本思想および宗教哲学の第一人者である。 神道は、日本人にとっても把握しにくい、曖昧で多... 2016.11.01 晴筆雨読
科学半解 近代医学の転回点:科学的病理学と臨床知の対話 臨床的知識とは何か? 現代の医療現場では、医療従事者に対して性質の異なる二つの知的能力が求められている。一つは、病理学や薬理学といった基礎医学の知識に基づき、病気の原因や症状を科学的に分析・診断する「科学的知性」である。そしてもう一つは、患... 2016.07.16 科学半解
科学半解 「臨床の知」と生命倫理——経験に根ざした知性の可能性 – 中村雄二郎『臨床の知とは何か』 中村雄二郎『臨床の知とは何か』(1992)臨床の知の発見 —— 近代科学の限界ともう一つの現実 近代科学は、普遍性・客観性・論理性を中心的な価値とし、世界を分析的に把握する方法を発展させてきた。この枠組みでは、現実は因果律に従う対象として切... 2016.07.15 科学半解
哲学談戯 〈近代知〉の限界とオルタナティヴ──中村雄二郎『哲学の現在』を読む 絶版本を読む絶版本の世界へようこそ。あえて絶版本を読み、それを紹介するという誰得?な企画です。中村雄二郎『哲学の現在』(1977)近代知性のオルタナティヴ(Alternative) 本書は、自我・身体・認識・宇宙像(cosmology)とい... 2016.07.10 哲学談戯
科学半解 意識はどこから来るのか──情動・言語・他者から見る自己の起源 はじめに:意識の起源を問う 「意識」とは何か。この問いに明快な答えを出すことは、現代の脳科学や哲学においてもなお困難を極める。意識とは単に自己が世界を感じる感覚なのか、それとも記憶や言語と不可分の高度な情報処理の現れなのか。いずれにせよ、意... 2016.07.06 科学半解
科学半解 「意識」はいかにして科学の対象となったか──心理学から脳科学への展開 意識とは何か?──科学が挑んだ「不可視の現実」 心とは何か?そして、「意識」とはどこにあるのか?── 実証主義を基盤とする近代科学において、「意識」という現象は長らく、捉えがたい対象であり続けた。科学的手法の前提となる「客観的観察」の枠組み... 2016.07.05 科学半解
哲学談戯 パスカルの賭け──理性の時代に抗した思想:パスカルの信仰とその逆説 理性による信仰の意義の証明 17世紀フランスの思想家ブレーズ・パスカルの遺稿集『パンセ』は、人間の現実を鋭く観察した人文主義(モラリスム)文学の傑作として知られている。しかし、この書物は彼の死後、未整理の断片を編者が寄せ集めて編纂したもので... 2016.06.10 哲学談戯