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哲学談戯

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パスカルとジャンセニスム──『パンセ』に込められた信仰と理性の対話

ジャンセニスムの源流とヤンセニウス ジャンセニスム(Jansenisme)は、17世紀のカトリック教会内部で起こった改革的信仰運動である。その思想的源流は、オランダの神学者コルネリウス・ヤンセン(ラテン語名:ヤンセニウス、1585–1638...
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スピノザの思想に見る近代的自由の起源:信仰心の合理化の試み – スピノザ『神学・政治論』

スピノザ『神学・政治論』(1670)近代化の条件──宗教と科学の分離 スピノザが生きた17世紀は、「科学革命の世紀」と呼ばれるように、自然科学が飛躍的に発展した時代だ。天文学、力学、光学などの分野で新しい知見が次々と現れ、それまで宗教が担っ...
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デカルト『情念論』における心身の交差点──デカルト形而上学の終着点

デカルト『情念論』(1649)デカルトの形而上学を総括する書としての『情念論』 ルネ・デカルトが晩年に完成させた最後の著作『情念論』(Les Passions de l’âme, 1649)は、彼の形而上学的思索を総括する書物だと言える。デ...
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なぜデカルトは神の存在を証明しようとしたのか?──存在論から認識論への転換 – デカルト『省察』を読む

デカルト『省察』(1641)『省察』扉絵近代合理性と神への信仰Je pense, donc je suis. ── Cogito ergo sum我思う、ゆえに我あり 「我思う、ゆえに我あり」という言葉は、西洋哲学史の中でもとりわけ有名な命...
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信仰に裏打ちされた合理性──デカルト哲学の出発点をめぐって – デカルト『方法序説』を読む

デカルト『方法序説』(1637)デカルトと中世──近代哲学の起点は本当に「断絶」だったのか「認識する主体(精神)の発見」「機械論的身体観」「数量化された自然像」── これらは、近代的世界観の根幹をなす概念である。そして、こうした考え方を最初...
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神・延長・理性──デカルトが切り開いた近代の地平 – デカルト『哲学原理』を読む【形而上学編】

デカルト『哲学原理』を読む【後編】──形而上学編デカルト『哲学原理』(1644)形而上学の刷新──一切の学問の基礎づけの試み 『哲学原理』は、デカルトの形而上学においても集大成と位置づけられる作品である。 『方法序説』および『省察』において...
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神・延長・理性──デカルトが切り開いた近代の地平 – デカルト『哲学原理』を読む【自然学編】

デカルト『哲学原理』を読む【前編】──自然学編デカルト『哲学原理』(1644)新たな世界像の構築 デカルトは『方法序説』(1637年)、『省察』(1641年)において哲学的探究を深めた後、1644年にその思索を総合する形で『哲学原理』を刊行...
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自然と数学を結びつける思想はどのようにして生まれたか──新プラトン主義としてのデカルト哲学

機械論的自然観──自然と数学を結びつける思想はどのようにして生まれたか 近代科学の父と称されるルネ・デカルトの哲学は、一般には理性主義や機械論的自然観の先駆けとして理解されている。彼の有名な命題「われ思う、ゆえにわれあり」は、内面の確実性を...
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デカルト哲学:近代的知性の始まり──理性と数学による「明晰な知」の探究

近代的知性の出発点としてのデカルト哲学 17世紀ヨーロッパ、宗教的権威と伝統的学問体系が揺らぐなか、「確実な知」を求めて哲学を根本から再構築しようとした思想家──それがルネ・デカルトである。すべてを疑い、理性のみによって真理へと至ろうとする...
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相対主義の極限と思考の地平──入不二基義『相対主義の極北』を読む

入不二基義『相対主義の極北』(2001)相対主義の自己適用化をめぐって 本書は、相対主義に内在する「自己論駁(self-refutation)」の問題を出発点とし、それを極限まで突き詰めたときに現れる思考の地平を探求するものである。相対主義...
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