ニーチェ『喜ばしき知恵』(1882)
来るべき勝利が、いや、かならずや訪れる、ことによるとすでに到来しているかもしれない勝利が……。
およそ予想外のことが起こったかのように、感謝の念がそこここに溢れ出ている。快癒した者の感謝の念が――。
ニーチェは『喜ばしき知恵』の冒頭の一節で、快癒への喜びを語っている。そして、この書物が、長い苦痛と抑圧の果てに快癒した者が手にした喜ばしき知恵――「生」への礼賛の書であると宣言する。
喜ばしき知恵とは、真理を求める知識ではなく、「生」に美的な歓喜をもたらす知恵のことだ。私は、ニーチェにとってこの書物が、彼の療養生活の末に、生きることへの喜びを素直に語った書だったと思う。快癒への喜びとは、その率直な表現だったのではないか。激しい頭痛の中で療養生活を余儀なくされたニーチェにとって、生を肯定することは、真理によってではなく、生きる意思をそのまま認めることにおいてであったはずだ。喜ばしき知恵は、まさにそのことの発見であり、その宣言であったように思う。
闘病生活
ニーチェは、1879年、激しい頭痛に襲われ、一時的に目が見えなくなるなど、持病であった極度の偏頭痛にしばしば悩まされるようになった。この年から、ニーチェは病気療養のために大学から離れて、南スイス、北イタリア、南フランスなど、気候の良い土地に移り住みながら生活を送るようになる。この生活は、1889年、イタリアトリノ滞在中に精神錯乱の発作を起こすまでの10年間、続けられた。
この療養生活が始まった数年後の1882年に、『喜ばしき知恵』の初版は、出版されている。療養生活にありながらも、この80年代初頭は、ニーチェが最も気力の充実していた時期だ。
大学を辞して、在野の思想家として執筆を行いはじめたニーチェは、すでに78年に『人間的な、あまりに人間的な』、81年に『曙光』と出版を続け、既存の道徳や宗教批判、価値転換などの思想を展開していた。後に『権力への意思』として纏められる草稿群もこの時期に書かれたものだ。
ニーチェの中核的思想は、ほぼこの時期にすべて出来上がっていたと言われる。神の死、超人、永劫回帰、生への意思といったニーチェの中心的思想すべてが『喜ばしき知恵』の中に窺うことができる。ニーチェの思想を包括的に語った最初の書だと言えるだろう。
第二版(1887)への変遷
初版の『喜ばしき知恵』は、第四書までの構成になっていて、超人の到来を告げたところで終わっている。第四書の最後の断章342は、『ツァラトゥストラ』の冒頭と全く同じもので、『ツァラトゥストラ』への橋渡し的な章になっている。まさに超人の到来を予言して本書は幕を閉じる。
ニーチェはこの時点で、自らの思想の骨格をほぼ作り上げていて、この初版には、彼が自らの思想の全体像と方向性を示すことができたという確信のようなものが感じられる。つまり、神の死を宣告し、ニヒリズムを克服する超人の到来を示すこと、そして、その超人の生き方こそが、われわれにとっての喜ばしき知恵だという確信だ。この書は、それを初めて披瀝したものだ。
その意味でニーチェには、本書に対する自信のようなものがあったのだと思う。ニーチェは極めて饒舌で、文体は非常に軽やかだ。
だが、この書は後に大幅に書き加えられて出版し直される。87年、第五書と「プリンツ・フォーゲルフライの歌」という詩篇を追加して第二版として公刊された。
この第五書は、他の章と比べると、いささか趣を異にする。ニーチェの無駄な饒舌さや軽口、人を喰ったような矛盾した内容の羅列、文意のつかみにくい入り組んだ表現などが、ずいぶんと影を潜めている。
つまり、過度に文学的な表現は抑えられていて、明晰な文章で、非常に論理的な内容になっているのだ。
初版の出版された82年からこの第二版公刊の87年という間には、かのルー・ザロメ事件と『ツァラトゥストラ』の出版というニーチェにとって非常に大きな意味のある出来事が起こっている。
ルー・ザロメをめぐって親友レーとの間の軋轢、そして、三角関係の末の破局、その後の精神的危機の中での『ツァラトゥストラ』の執筆、という経験を経て、第五書は書かれている。
ここで特に重要なのは、初版の『喜ばしき知恵』の最後にその輪郭だけが触れられていた永劫回帰という思想が、『ツァラトゥストラ』の中でより革新的な思想として深化させられているということだ。
永劫回帰
今現在起きている事実が、寸分違わぬそのまま、全く同じ順序で、永遠と繰り返されていく――
この永劫回帰の思想は、ニーチェを今日まで価値のある思想家として、読み継がれていく存在へと押し上げた革新的な発想だった。ニーチェの哲学の中でも最も現代的な意義を持った考えだと言える。
この思想は、東洋的な輪廻の発想ともキリスト教的な来世の思想とも異なる。輪廻という発想にしろ来世という考え方にしろ、現在の存在や行為の意味が、過去や未来を意味づけるものとして働いている。
そもそも世にあるすべての宗教、歴史、道徳といったものが、自己と世界というこの存在そのものを意味づけるものとして存在しているのだ。人間は自己の存在に本来的に意味を求める生き物なのだ。
ニーチェの永劫回帰の思想は、存在に意味を求めようとするそうした人間の本能的な営みそのものを否定する。今現在起きたことは、そのまま全く同じように将来にわたって繰り返される。存在および出来事は、そのまま繰り返されているだけだと、ニーチェは言う。ということは、現在の自分の存在は、未来過去の存在や出来事に何の意味ももたらしていない、ということだ。
このような永劫回帰の中で生きる人間にとって、できることとはなんだろうか。存在に対する一切の意味づけを剥奪された人間にとってできることとは、今現在をただ認めて、肯定することだけだろう。
この一切の意味づけを剥奪されたニヒリズムの世界では、強烈な意思の存在を必要とする。一切の意味のない現在をただそのまま認めることのできる意志の力を。
そこで、ツァラトゥストラは言う、「ならばもう一度」と……
大いなる健康について――第五書
このような永劫回帰の思想の深化を経て、第五書は書き上げられた。神の死の宣告とキリスト教的倫理観の転換、認識と価値の問題、近代科学と学者の存在意義、芸術とドイツ的精神、理解されない自己の思想――ニーチェの直面した哲学的課題のすべてが、この第五書の中で総括されているのだ。
本書の冒頭で快癒を語ったニーチェは、第五書の最後で再び、健康について語っている。新たな、より強靭で大胆で愉快な健康を。
それは、どのような価値にも歪められることのない健全な精神だという。
存在に対するこの世のすべての諸価値は、意味を求める精神によって創造される。だが、それは精神を快活にするのではなく、精神に病をもたらすだけだ。すべての古い価値によって歪められ抑圧された精神は、現在の苦しみに意味を求めることによって、さらに精神の病を深めてしまう。そして、その病んだ精神が、さらに意味を求めて価値を創造する。
否!
希望にあふれた精神は、意味を求めるのではなく、大いなる健康を必要とするのだ。これが、ニーチェの辿り着いた喜ばしき知恵だ。
精神の危機を経て書かれた第五書は、単なる付け足しではない。いわばニーチェ自身の総括のように思える。
私はこの書は、第五書から読み始めるのが良いと思う。ニーチェとしては、比較的明快な文章、明確な論旨、総括的な内容など、ニーチェの哲学の全体像を把握するのには、極めて適した章だろう。
ここには、ニーチェの偽悪的な悪ふざけの態度は、見られない。ニーチェの文章は、しばしば人を喰ったような表現で、読者を弄んでいるときがある。ニーチェの言う、乱痴気騒ぎのサトゥルヌス祭を祝う陶酔の精神だ。読者には、ニーチェのこのパロディとしての文章を、受け流す精神的な余裕が必要だ。
だが、私には、この第五書に、ニーチェの非常に真摯な姿が窺えるように思えるのだ。それは、この文章が、楽観的に快癒を語っていた当初のニーチェが、本来の意味での精神の苦悩を経験し、その末に書かれたものだからかもしれない。
精神の大いなる健康を本当の意味で必要とした時に、快癒という楽観的な言葉は消えていた。このように思えるのは、私にも精神の大いなる健康を欲しているからかもしれない。
そうした者は、何よりもあるひとつのことを、すなわち大いなる健康を必要とする。――われわれはそれを単に所有するだけではなく、繰り返し獲得し、獲得し直さなければならない。なぜなら大いなる健康はたびたび失われるし、失わなければならないからである!