キュニコス派(犬儒派)の思想と哲学 – 自然にしたがって生きよ

Cynicismの意味と語源とは?

 英語のcynicalという言葉には、「冷笑的な」という意味がある。英英辞書を引いてみると次のように書かれている。

1. Believing that people are motivated purely by self-interest; distrustful of human sincerity or integrity.
2. Concerned only with one’s own interests and typically disregarding accepted standards in order to achieve them.

lexico.com

 人間の真摯さや尊厳を信用せず、人はみな純粋に自己利益のみに基づいて行動していると信じている―――
 このような態度を現代英語ではcynicalと呼び、その考え方をcynicismという。

 このcynicismという言葉は、古代ギリシアの哲学の一派、キュニコス派(kynikos)が語源となっている。古代ギリシア語でキュニコス(kynikos)という言葉は「犬のような」という意味であり、キュニコス派を日本では犬儒派と訳している。

 キュニコス派の人々は社会の常識や規範に捕らわれることを拒み、自然の姿に従って生きることを理想とした。社会に背を向け、文明的な生活を否定した彼らの生活は、他の人々からはまるで野良犬のように見えていたことだろう。キュニコスというこの言葉にはもともと侮蔑的な意味合いが含まれていた。
 現代ではこの社会に背を向けた冷笑的態度のみが言葉の意味として残ってしまった。しかし、彼らが社会のあらゆる常識を無視したのは、自然の生き方を求めた結果であって目的ではなかった。
 キュニコス派の掲げた「自然」という考え方には、社会の常識を疑う批判的思考が含まれていた。

 キュニコス派は、「自然にしたがって生きよ」という言葉を掲げてそれを実践した。この反文明的な思想はどのように成立したのか。その背景を探ってみよう。

キュニコス派の哲人 – ディオゲネス

 歴史上には、ヘレニズム期からローマ帝政期にかけて、100人ほどのキュニコス派の人々の名前が残されているという。しかし、キュニコス派として今でも広く知られているのは、樽に住む賢人と言われたディオゲネスだろう。

 ディオゲネスは紀元前4世紀後半にアテナイとコリントスを放浪した遁世の哲学者で、キュニコス派を代表する人物だ。小アジアのシノペで貨幣鋳造の責任者をしていたが、貨幣改鋳の嫌疑をかけられて、すべての地位と財産を失いアテナイへと逃れてきた。
 それ以来、アテナイ及びコリントスの地において、社会の地位や富といったすべての虚飾を排して、必要最小限のもののみで生きることを実践した。その態度は徹底したもので、日々の生活の糧は物乞いによって得て、水甕の中に住んで雨風をしのいだという。さらに彼の徹底さを物語る逸話として次のようなものが残されている。

 ディオゲネスは甕の中に住み、必要最小限のものしか持たなかったが、ある日、子供が手で水をすくっている姿を見て、自分の持っていた柄杓を投げ捨てたという。

 この徹底した「無所有」の思想は、社会に対する強烈な反定理(Antithese)であり、そこには文明批判の精神的萌芽が窺える。文明の発展とは、とりもなおさず生産技術の発展であり、それによる生産力の向上によってもたらされるものだからだ。「無所有」の思想は、その常識的な判断をいったん保留(epokhē)し、モノを所有することを拒否することで、文明が発展することの意義そのものを問い直す契機を与える。
 これは、文明化された社会の中で生きること、つまり、社会的地位を得ること、財産を蓄えることが、彼にとって何ら精神的幸福をもたらさなかったという苦難の経験から得たものかもしれない。ディオゲネス自身、シノペでの地位と財産を失って、アテナイへと流れついていた。地位と財産は、それを失った時ほど、精神的な苦痛と不安が大きくなることを実感として知っていたのだろう。

 しかし、人が生きていく上で、すべてのものを捨て去るということはできない。ディオゲネスは身の回りのものをほとんど捨て去ることで、自分にとって何が必要なものなのかを見出そうとした。彼は、何が必要かと人から尋ねられた時、パンと水だけを与えてくれ、それでいくらでも宴を開くことができると述べたという。
 ディオゲネスは無所有という文明批判から、「足るを知る」という実践的な「生」の規範を導いた。彼はこうしてキュニコス的生き方を確立した。

Jean-Léon Gérôme – Diogenes Sitting in His Tub (1860)

狂えるソクラテス

 このような批判精神の源泉はソクラテスにまで遡ることができる。ソクラテスは、「すでに知っている」という常識的判断を保留し、自らの、そして、人々の無知を暴いていった。彼の哲学は、批判的な精神を礎として発展した。
 ソクラテスの批判精神は、人間の幸福に関しても及んだ。人間の幸福は、地位や富といった外的な条件によるものではなく、「魂への気遣い」によって得られるものと考えていた。この精神主義的な幸福論は後の哲学に多大な影響を与えている。特にストア派では、魂への配慮のために自死を選んだソクラテスの最期の姿は、理想的な死として受け入れられるまでになる。

 一方、キュニコス派は、ソクラテスの「魂の気遣い」という幸福論を精神が乱されないこととして受け継いだ。彼らにとっての幸福とは、何よりも精神が平穏であることであり、そのためにはあらゆる執着から解放される必要があると考えた。人は何かを失うとき、苦しみ、精神の平穏を見失ってしまう。だが、自然の中には、地位も名誉も財産もない。であるならば、それらは本来、人間にとってすべて不必要なものなのだ。「足るを知る」ことこそ、幸福のための要件なのだ。

 ディオゲネスは「自然にしたがって生きよ」と説いた。それは「足るを知る」ことによって本来の人間の姿を取り戻そうとする態度だと言える。

 プラトンはディオゲネスを評して、「狂えるソクラテス」と呼んでいる。ディオゲネスの思想の根底には、ソクラテスの哲学と通底するものがあることをプラトンは理解していたのだろう。だが、ディオゲネスの態度は極めて急進的(radical)なもので、一般的に中庸を美徳とする古代ギリシア的観念からは極めて異質だった。「狂えるソクラテス」とはまさに言い得て妙なものだろう。

 ディオゲネスはその奇行を伝える逸話ばかりが注目されがちだが、その根底にあるのは批判精神であり、文明批判である。「自然にしたがって生きよ」という彼の思想は、理論としてではなく、実践としてのみ表現され得るものだった。しかも極めて急進的な態度によって。

 キュニコス派はその思想的性格上から、学派として拡大することはなかったが、ディオゲネスの強烈な生き様は、その後の哲学思想に多大な影響を与えることになる。彼の生き方と箴言は、今もなお多くの人を惹きつけている。