インドの思想と宗教
インド北西のインダス川流域では、紀元前2600年頃からインダス文明が発展した。この文明は紀元前1800年頃には衰退し、それと入れ替わるような形で、紀元前1900年から1700年を境にヴェーダ期と呼ばれる新たな文化が形成されていく。
紀元前1200年頃からは、アーリア人の侵入が始まる。現代のヒンドゥー教にまで連なるヴェーダ賛歌が興るのは、この時代からだ。紀元前1000年頃からは、口承され、伝承されてきたヴェーダが、徐々に文字として書き起こされ、膨大なインドの文献群が整えられていく。
紀元前5世紀頃には、インドの古代思想の特性がはっきりと形を現している。このヴェーダの宗教の形成が、インダス文明から続くインドの内的な発展の結果なのか、アーリア人のもたらした文化によるものなのか、それは現在でもはっきりとはしていない。
ただこの時代から、インド的な思想の特性を読み取っていくことができるようになる。
オランダの思想家ヤン・ゴンダの『インド思想史』は、この古代インド思想史の発展を俯瞰した古典的名著だ。インダス文明からヴェーダ、ヒンドゥー教へと流れていく思想史の流れをこの文庫本一冊で知ることができる。
ただ。。。
めちゃくちゃ難解。
読んでいて、目の前がなんだかクラクラしてきた。思わず悟りを開くところだった。とてもド素人が読みこなせるような本ではないので、自分の頭の整理も兼ねて、自己解釈だが、内容をまとめて書き留めておきたい。
以下、本書の記述に従って、インド思想史の流れをざっと追ってみる。(そーとうざっくりとだが。自己流解釈なのはあしからず。)
ヴェーダ
熱帯地域の原生林に囲まれたインドでは、自然との連帯感が古代原始的な精神構造を形作っていった。自然を自己と鋭く対立するものとして捉えるのではなく、自己の存在を自然の中に包含して捉えている。
一方、人々は、人間の知覚や理解を超えたところに潜在的な力を認め、その存在を畏れた。この潜在的な力は、あらゆるものの中に見出される。それは時として神々として見做された。また、周期的な自然の働きの中には、天則(rta)が見出された。
この神々の掟に逆らったり、天則に従わないものは、罪穢(enas)を被るとされた。この罪穢、穢れは、実体的な存在で、受け渡されたり、払拭することのできるものと考えられていた。そのため、人々の間では、罪穢を逃れ、一掃するための方法が必要とされた。そして、罪穢を払拭する手段として、呪術や祭式が次第に整えられていく。
このような考え方は、熱帯、亜熱帯地域のアニミズムに典型的なものだ。このアニミズム的な世界観において、インドの思想様式を最も特徴付けるものがある。それが、超自然的なものへの直接的な交流を求めようとする発想だ。
インドでは、脱俗的な一部の人々が、人間の知覚を超えた潜在的な力と直接交流しようと試みた。そこでは、体験によって得た直感的な知識が非常に重視されている。それは、孤独で忘我的な体験の中から得られるものと考えられ、この発想が古代から現代にいたるまで、インドの思想を特徴付けていくものになる。
この発想を軸に置くと、後のインド思想の流れが非常に捉えやすくなる。
ブラーフマナからウパニシャッドへ
紀元前800年から600年頃までの間に主要なブラーフマナ文献が成立する。ブラーフマナは、ヴェーダ賛歌の詩聖たちが苦行(tapas)の末に感得した顕示を祭儀によって再現しようとする、あるいは伝えようとする試みと言える。そこでは祭祀の執り行いについての具体的詳細とその意味、解釈が述べられている。
因果律や創造原理としての梵、現象世界を形作る名と形などが知識として体系付けられていくのも、この祭儀の解釈を行う過程において進められていった。そこには知識尊重の風潮が窺える。
この知識体系を基にして、ブラーフマナの祭式主義を超え、万物の真理を探究しようとする思想が発達してくる。それが、インド哲学の出発点ともいえるウパニシャッドだ。
ヴェーダ・ウパニシャッドなどの古ウパニシャッドは、紀元前6世紀頃から形成されていく。
自己意識への沈潜から、自己の絶対的中心として個我(atman)がの概念が登場してくる。このアートマンは、対象のない純粋な認識の主体とされる。そして、完全に純粋化されたアートマンは、世界の根本的な原理である梵(brahman)と一致する、と考えられた。
アートマンは流転するこの世の存在に囚われて輪廻(samsara)を繰り返している。この業(karman)を解き放って、解脱(moksa)に至るという教義の基礎が築かれる。
こうして、世界と精神は同じ原理を基礎とし、精神を知り、それを制御することは、世界を知り、制御することになるというインドの一大思想が生まれることになった。
マハーバーラタ
ヒンドゥー教は、マハーバーラタとそれに続くプラーナ文献によって、4世紀頃に発展し、インド社会全般へと浸透していく。
ヒンドゥー教の発展は、紀元前6世紀頃に登場したジャイナ教や仏教などヴェーダの権威を認めない宗教が隆盛する中で、ヴェーダの宗教がその体系化を迫られた結果だった。
マハーバーラタは、神話を伝える叙事詩であり、主宰神によって指導される世界観を示している。この世界観を基に、バラモンが主導するインドの宗教社会が成立した。
バガヴァッド・ギーター
バガヴァッド・ギーターは、叙事詩マハーバーラタに収められている一遍の詩文。この一遍のみで固有のウパニシャッド哲学をなしていると言われる。
後のサーンキヤ学派に先立って、精神(purusa)と物質(prakrti)との二元論的世界観を提示した。ギーターでは、この二元論的世界の上にさらに最高神を想定する。この最高神は宇宙の第一原理で、世界の生成変化の根本的要因となる。
ギーターにおけるこの最高神は、世界を動かす第一原理として超越的であると同時にプルシャとプラクリティのすべてに偏在する内在的存在でもある。それは、すべての個我(アートマン)は、この最高神の本性に与っているということを意味している。それは自我の欲を超えて超越的であり、すべてに対して平等となる。
古典サーンキヤ
3世紀から4世紀頃に体系化されたサーンキヤ学派では、精神原理である霊我(purusa)と物質原理である根本原質(prakrti)の二元論をさらに推し進め、世界でも類例のない徹底的な二元論で世界を捉える。
プルシャは、永続普遍で偏在していると同時に、個々の無数の個我(アートマン)としても現れる。そして、プルシャは非物質的で意欲を持たない純粋な知的存在である。
プラクリティはこのプルシャからの働きかけを受けて、均一の状態から多の状態に移り、世界を構成する。
この二つの世界原理の均衡からは、意識(buddhi)が生じる。さらにこのブッディからは、主観・我執(ahamkara)と感覚器官(manas)が生じ、これらが人々の間に、自らを「個」と感じ、プルシャが世界に関与しているという妄執を生むのだ。
サーンキヤ学派にとって涅槃とは、プルシャとプラクリティが根本的に異なる原理であることを洞察することだ。プルシャは世界に対して意思を持たない。プルシャが完全にプラクリティから離脱した時、識別する智さえも存在しない純粋な知性となる。
ここではじめて涅槃が理論的に意味づけられている。
古典ヨーガ
ヨーガは実践を強調し、さまざまな教派と結びついて発展していく。一つの思想的体系としてまとめられたのは、5世紀頃のパタンジャリによる『ヨーガ・スートラ』においてだ。
『ヨーガ・スートラ』では、高度な水準にまでヨーガの技法を高めただけでなく、解脱への理解に形而上学的理論を援用している。この形而上学的理解においては、サーンキヤ学派が大きな役割を果たしている。
ヨーガの最終的な目標は、心の無秩序な働き、精神の活動、現実化作用の止滅である。
心(citta)の働きは、認識作用によって意識を生み、意識下のものを実現化していく。ここに無常、無我なるものを恒常、自我と見做す無知が生まれる。ヨーガは、このような無秩序な心の働きを止滅させ、物質原理から完全に離脱した独存の状態に導く。
不動の自己はもはや何の物質的表象を含まなくなり、すべての感覚器官は制御される。ここに心の静安がもたらされるのである。
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