ブレーズ・パスカル 年表
年(西暦) 年齢 | 出来事・業績 | 社会・歴史的背景 |
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1623年 0 | 6月19日、フランス・クレルモン=フェランに生まれる。父エティエンヌは法律家で数学に関心が深かった。 | ルイ13世の治世下。宰相リシュリューが中央集権化を推進中。三十年戦争(1618–48)続行中。 |
1631年 8 | 父と姉たちとともにパリへ移住。父から直接教育を受ける(当時の家庭教育は珍しいほど徹底的)。 | フランス、スペインと対立を深める。ガリレオがローマで異端審問を受け、地動説を撤回。 |
1635年頃 12 | 独学でユークリッド幾何学を学び、独自に定理を発見。数学的才能が早くから開花。 | フランスが三十年戦争に正式参戦。アカデミー・フランセーズ創設(リシュリューの文化政策)。 |
1640年 17 | 「円錐曲線に関する定理(パスカルの定理)」を発表。プロジェクティブ幾何学の基礎に貢献。 | フランス軍、スペインと戦闘を続ける。イタリアではガリレオ死去(1642年)。 |
1642年 19 | 父の税務計算を助けるため、世界初期の計算機「パスカリーヌ」を発明。後に改良版を製作。 | ルイ13世とリシュリュー死去、幼王ルイ14世即位(実権は摂政アンヌ・ドートリッシュとマザラン枢機卿)。イングランド内戦開始(1642–51)。 |
1646年 23 | 父が怪我で療養中、ジャンセニスト派の医師と知り合い、キリスト教への深い関心を持つ契機となる。 | フランス国内でカトリックとジャンセニストの教義論争激化。三十年戦争終盤。 |
1647年 24 | 気圧・真空実験に取り組み、「真空の存在」を示す研究を発表。デカルトと論争。 | 科学革命期、トリチェリが水銀柱実験を発表(1644年)。戦争による財政難深刻化。 |
1648年 25 | 義兄ペリエを通じてピュイ・ド・ドーム山での気圧測定実験を実施。気圧と高度の関係を証明。 | ウェストファリア条約で三十年戦争終結。フランスでフロンドの乱(貴族・市民による反乱)勃発。 |
1654年 31 | 11月23日夜、「火の体験」と呼ばれる神秘体験を経て、宗教的回心を遂げる。以後、ジャンセニスト派と深く関わる。 | フロンドの乱終息(1653年)。ルイ14世、親政の基盤固めへ。科学界ではホイヘンスが振り子時計を改良。 |
1656年 33 | パリでジャンセニストを擁護する匿名文「地方の手紙(プロヴィンシアル)」を発表し、カトリック教会内外で大反響を呼ぶ。 | ローマ教皇庁がジャンセニスト派を異端視。フランス国内で宗教的緊張が高まる。 |
1657年 34 | 「プロヴィンシアル」第18書簡まで刊行され、教会当局の非難を受ける。 | 神聖ローマ皇帝レオポルト1世が就任。 |
1658年 35 | 無限級数を用いた円の求積法を発表。確率論の研究でフェルマーと書簡交流。 | スペイン継承戦争(フランス・スペイン戦争)続行中。イギリスはクロムウェルの護国卿体制下。 |
1659年 36 | 健康悪化が進行。宗教的著作の構想に集中。 | ピレネー条約によりフランス・スペイン戦争終結。ルイ14世、スペイン王女マリー・テレーズと結婚(政略婚)。 |
1662年 39 | 8月19日、パリで死去。死因は体調の衰弱と結核とされる。 | フランス、絶対王政へと本格移行中。ロンドンではロイヤル・ソサエティ創設準備期(1660年代初頭) |
1670年 死後 | 『パンセ』刊行(未完の断片集)。 | ヨーロッパで合理主義哲学(デカルト、スピノザ)が影響力を拡大。ルイ14世の華やかな宮廷文化が形成される。 |
パスカルの人生は、三十年戦争終盤からフロンドの乱、そしてルイ14世親政開始という大きな政治転換の真っただ中にあった。また17世紀の科学革命の只中だった。
主な業績の分野別まとめ
- 数学
- 射影幾何学(パスカルの定理)
- 確率論(フェルマーとの書簡交流による)
- 無限級数・解析学の発展に貢献
- 物理学
- 気圧・真空の存在証明(パスカルの原理)
- 流体力学への基礎的貢献
- 技術
- 機械式計算機「パスカリーヌ」の発明
- 宗教・哲学
- 『地方の手紙』によるジャンセニスト派擁護
- 『パンセ』による人間観・宗教哲学(死後出版)
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