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自然の尊重と破壊:分裂する日本の自然観 – オギュスタン・ベルク『風土の日本』

オギュスタン・ベルク『風土の日本』(1986)分裂する日本の自然観晩春のある日曜日の午後、妻と私は戸山町のあたりをぶらついていた。まるで田園にでもいる思いだった。うねうねと曲がる小道、ときおり現われ出る緑、小さな丘、藪で覆われた窪地、切れ切...
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インド思想の源流──〈自己〉を問い直す思想:仏教の誕生と展開

仏教──「自己」を問う思想の転換点 ヴェーダ的宗教思想とその後のブラフマニズムが宇宙と人間の根源的結合、すなわちアートマン(自己)とブラフマン(梵)の一体性を説いてきたのに対し、仏教はその前提そのものを根本から問い直した思想運動である。紀元...
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インド思想の源流──ヴェーダからウパニシャッド、ヒンドゥー教、ヨーガへ

インドの思想と宗教の形成 インド北西部のインダス川流域では、紀元前2600年頃から、優れた都市計画や排水設備を備えた高度な都市文明──インダス文明が栄えた。しかし、この文明は紀元前1800年頃には衰退を迎え、その後の展開は長らく謎に包まれて...
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仏教の原点を問う:ブッダ本来の教えとは?──非我の理解と執著の断絶

ブッダ本来の教えを知るために ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)は、紀元前5世紀頃、インド北部、現在のネパール国境付近にあったシャーキャ国の王族として生まれた。彼は29歳で出家し、6年間の厳しい修行を経て、ブッダガヤのアシヴァッタ樹(ピッパラ...
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日本人の知らない日本の宗教 – トーマス・カスーリス『神道』

トーマス・カスーリス『神道』(2004)神道の本質に迫る異文化的視座 2004年刊行。翻訳は2014年。 著者トーマス・カスーリス氏は、アメリカにおける日本思想および宗教哲学の第一人者である。 神道は、日本人にとっても把握しにくい、曖昧で多...
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多様性の時代としてのルネサンス——合理と神秘、死と再生の交錯 – 樺山紘一『ルネサンス』

絶版本を読む絶版本の世界へようこそ。あえて絶版本を読み、それを紹介するという誰得?な企画です。樺山紘一『ルネサンス』(1993)近代性の陰に隠れたもう一つのルネサンス像 人間中心主義と合理主義的精神——— 14世紀以降のイタリアに始まり、ヨ...
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中世ヨーロッパの刑吏から読み解く差別の社会史 – 阿部謹也『刑吏の社会史』を読む

阿部謹也『刑吏の社会史』(1978)社会史とは何か社会史とは、何を対象とする歴史なのだろうか。政治史、経済史、法制度史、美術史、建築史といった分野は、その対象が明確で理解しやすい。しかし「社会史」と聞くと、何を扱う学問なのか直ちに把握しにく...
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「ハーメルンの笛吹き男」と民話の変容──物語が映す社会の歴史民話の解釈学 – 阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』

阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(1974)「ハーメルンの笛吹き男」はいかにして語られるようになったのか? 1284年、ドイツの町ハーメルンに現れた謎の笛吹き男が、報酬と引き換えに町を悩ませていたネズミの群れを駆除した。しかし町の人々は約束...
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失われた日本の身体感覚を取り戻す – 養老孟司・甲野善紀『古武術の発見』

絶版本を読む絶版本の世界へようこそ。あえて絶版本を読み、それを紹介するという誰得?な企画です。養老孟司・甲野善紀『古武術の発見』光文社 (1993)失われた身体感覚を取り戻す 一度失われた技術を再び取り戻す——— 甲野善紀氏は古武術の研究家...
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本を読んでるとバカになる? – 清水幾太郎『本はどう読むか』

読まれる読書から読む読書へ 読書というのは、なんとなく読んでいるだけで、自分が考えたような気になってしまう。しかし、著者に言わせると、それは本に「読まれている」だけで、自分にとって意味のある読書体験にはなっていない、ということらしい。 まぁ...
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