方々日誌 左右盲の克服方法(自己経験談) 左右盲とは? 右と左の区別が咄嗟にはつかないこと、またはそのような人の、自称。 色盲などといった既存の言葉から造られたただの俗語であり、このような病名や学術用語が実際にあるわけではない。 ごく一般には、「右」「みぎ」「左」「ひだり」と言葉ま... 2016.04.25 方々日誌
方々日誌 スライド・ギターの名手、ロイ・ロジャース ── 俳優じゃない方のRoy Rogers Blues Singer - Roy Rogers YouTubeで偶然見つけたギタリスト、ロイ・ロジャース(Roy Rogers)。検索すると同名の西部劇俳優ばかりが出てくるが、こちらはデルタ・ブルースを得意とするスライド・ギターの名手で... 2016.04.20 方々日誌
晴筆雨読 多様性の時代としてのルネサンス——合理と神秘、死と再生の交錯 – 樺山紘一『ルネサンス』 絶版本を読む絶版本の世界へようこそ。あえて絶版本を読み、それを紹介するという誰得?な企画です。樺山紘一『ルネサンス』(1993)近代性の陰に隠れたもう一つのルネサンス像 人間中心主義と合理主義的精神——— 14世紀以降のイタリアに始まり、ヨ... 2016.04.03 晴筆雨読
哲学談戯 感情は「自然に湧く」ものか、「引き起こされる」ものか──日本と西欧における感情観の文化的相違 感情とは何か? 人はなぜ、嬉しくなったり、悲しくなったりするのだろうか。私たちが日々経験する感情は、どこから来て、どのように表現され、どう理解されているのだろうか。 この素朴な問いを深く掘り下げていくと、日本語と西欧語のあいだに横たわる、感... 2016.03.20 哲学談戯
哲学談戯 デカルト『情念論』における心身の交差点──デカルト形而上学の終着点 デカルト『情念論』(1649)デカルトの形而上学を総括する書としての『情念論』 ルネ・デカルトがその晩年に完成させた最終著作『情念論』(Les Passions de l’âme, 1649)は、彼の哲学の総括と読むことができる。すなわち、... 2016.03.15 哲学談戯
哲学談戯 なぜデカルトは神の存在を証明しようとしたのか?存在論から認識論への転換 – デカルト『省察』を読む デカルト『省察』(1641)『省察』扉絵近代合理性と神への信仰Je pense, donc je suis. – Cogito ergo sum我思う、ゆえに我あり 「我思う、ゆえに我あり」という言葉は、西洋哲学史の中でもとりわけ有名な命題... 2016.03.10 哲学談戯
哲学談戯 信仰に裏打ちされた合理性──デカルト哲学の出発点をめぐって – デカルト『方法序説』を読む デカルト『方法序説』(1637)デカルトと中世──近代哲学の起点は本当に「断絶」だったのか「認識する主体(精神)の発見」「機械論的身体観」「数量化された自然像」── これらは、近代的世界観の根幹をなす概念である。そして、こうした考え方を最初... 2016.03.08 哲学談戯
哲学談戯 神・延長・理性──デカルトが切り開いた近代の地平 – デカルト『哲学原理』を読む【形而上学編】 デカルト『哲学原理』を読む【後編】──形而上学編デカルト『哲学原理』(1644)形而上学の刷新──一切の学問の基礎づけの試み 『哲学原理』は、デカルトの形而上学においても集大成と位置づけられる作品である。 『方法序説』および『省察』において... 2016.03.06 哲学談戯
哲学談戯 神・延長・理性──デカルトが切り開いた近代の地平 – デカルト『哲学原理』を読む【自然学編】 デカルト『哲学原理』を読む【前編】──自然学編デカルト『哲学原理』(1644)新たな世界像の構築 デカルトは『方法序説』(1637年)、『省察』(1641年)において哲学的探究を深めた後、1644年にその思索を総合する形で『哲学原理』を刊行... 2016.03.05 哲学談戯
哲学談戯 自然と数学を結びつける思想はどのようにして生まれたか──新プラトン主義としてのデカルト哲学 機械論的自然観──自然と数学を結びつける思想はどのようにして生まれたか 近代科学の父と称されるルネ・デカルトの哲学は、一般には理性主義や機械論的自然観の先駆けとして理解されている。彼の有名な命題「われ思う、ゆえにわれあり」は、内面の確実性を... 2016.03.03 哲学談戯