NO IMAGE

スコラ的な世界観に取って代わる新たな自然観 – デカルト『哲学原理』(1644)

デカルト『哲学原理』(1644)

新たな世界像の構築

 『方法序説』(1637)、『省察』(1641)と哲学的探究を続けてきたデカルトは、1644年、『哲学原理』を刊行する。この著作は、新たな形而上学の構築と、スコラ的自然観に取って代わるべき機械論的、数学的自然観を展開することが狙いで、デカルトの思索の集大成と呼ぶべき作品だ。

 極めて野心的な作品で、デカルトは、この書でアリストテレス・スコラ的な世界観に取って代わる新たな自然観を提示するために、「大全」的な著述を試みている。
 4部構成で一部を形而上学、二部に自然科学の原理、そして三部、四部で、宇宙論及び自然科学を展開している。
 この構成は、スコラ哲学の教科書として当時最も読まれていたユスタッシュ・ド・サン・ポールの『哲学大全』(1609)が念頭にあったようだ。この書もスコラ的世界観の全体を示すような大著だった。デカルトの『哲学原理』は、この書のいわば書き換えで、この点からもデカルトが、世界観そのものを新しく構築しようとしていたことが窺われる。

 デカルトは、その著作量からみれば、哲学者というよりは科学者といった方が正しいのだろうが、後世に圧倒的な影響を与えたのは彼の形而上学の方であるから、本書も現代では、一部の形而上学と二部の自然科学の原理のみが一般的に読まれている。

 だが、本書の主題となっている哲学原理Principia philosophiaeとは、形而上学だけに絞られるものではなく、世界観全体の構築に関わる原理を指している。そのため、新たな自然哲学、自然科学を打ち立てるための原理として捉えるべきものだ。
 根本的原理を設定し、そこから形而上学、自然科学、さらには新たな世界像を提示するまでが、デカルトの試みなのだ。
 だが、自然科学に関する考察は、デカルト独特の推論に基づいたものが多く、今ではほとんどかえり見られなくなっている。とはいえ、ニュートンは、デカルトの『哲学原理』を愛読していたと言われていて、後の力学的な機械論的自然観、数量化可能な数学的自然観を生み出す下地になった歴史的意味は大きい。

デカルトの形而上学

 『哲学原理』は、デカルトの形而上学にとっても集大成的な作品で、『方法序説』『省察』において、懐疑論的方法論をすでに確立していたデカルトは、その方法論をもって形而上学を一から構築し直すことを試みる。それは、スコラ哲学への全面的な対峙を意味していた。

 では、デカルトが乗り越えようと試みたそのスコラ哲学とは、どのようなものだったのか。
 スコラ哲学がもっともその主題としたものとは、「存在者とは、なにか」という問題だった。スコラ哲学といえば、実在論と唯名論が対立した12世紀の普遍論争が有名だが、以来、スコラ哲学が一貫して問い続けてきたこととは、「存在」についてだった。「存在者」という名前で何が意味されているのか?を問い続けてきたと言っていい。

 「存在者ens」とは、実際に存在している存在そのもの(実在)と、今日でいう概念として存在している普遍(本質)という二義的なものの融合である、というのが、トマス・アクィナス以来の公式解答だった。
 ここから様々な派生的問題が生じることになる。普遍(本質)が存在者としての性格を認められるとすれば、現実に見て触れることのできる存在は、その普遍(本質)にとってどのような意味を持つのか。可能的存在、本質的存在、偶有的存在、とさまざまな存在的性格が生じる。さらに、普遍という存在に関しても、表象的存在、概念的存在、と多様な存在の在り方が生じることになる。
 スコラ哲学は、そのすべての存在者の存在性格を導く原理を考察する学問だった。

 では、絶対者としての神の存在性格とは、どのようなものであるのか。この問いに明確に答えることが、中世形而上学の最終的かつ、もっとも重要な問題だった。
 神という絶対性、あるいは、善や美といったものは、存在者としてどのような性格のものか、という問いを存在論の形で論じ、答えようとしていたのが、中世のスコラ哲学なのだ。

 デカルトもこの問題意識の延長で、神の存在性格を答えようとしていた。
 しかし、デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という懐疑論的方法論を確立し、スコラ哲学が論じていた真、善、美といったさまざまな存在者に関しての議論を一掃してしまう。
 デカルトが唯一、問題として取り上げた存在者は、神のみであって、それ以外については、懐疑論的立場から、論じることそのものを不可にしてしまう。
 デカルトの神の存在証明が成功しているがどうかに関しては、さまざまな議論がある。完全性という概念から強引に神の存在を証明しようとした誤った議論というのが現代的な大勢の見方だろう。
 だが、歴史的に見てより重要なのは、デカルトがスコラ哲学が問題としていたものを懐疑論によって一掃してしまったことの方だろう。
 普遍的存在、特にデカルトにとって重要だった数学的知識に関して、神の絶対性によって、その正しさが保証されるという演繹的立場で、形而上的存在に決着を付けたのち、デカルトは実在の存在を「延長を持つもの」として定義付ける。
そして、この延長を持つ空間が、後の自然科学の舞台になるのである。

 その意味でもデカルトの思想は、中世と近代を結びつける接点に位置しているのだ。
 デカルトののち、18世紀からは、自然科学が隆盛を迎え、哲学は存在論から認識論へと移り変わる。
 デカルトの哲学は、まさにこのようにして近代の幕開けとなったのだ。