フロイト『人はなぜ戦争をするのか』(1932)
外傷性神経症の発症
フロイトは、第一次世界大戦に直面して、人間の破壊的な欲望をまざまざと見せつけられ、それを契機にタナトスという死への欲動を理論化していく。
第一次世界大戦という人類が始めて直面した近代科学兵器による全体戦争は、前線の兵士に前例のない強い心理的負担を与えることになった。この戦争は、多くの外傷性神経症患者を生んだ。
当時、帰還兵たちの神経症に対して用いられた治療法は、主に電気ショックを利用したものだった。だが、このような治療法の限界はすぐに露呈され、医学界では神経症が、脳の器質的障害ではなく、心理的要因による障害であると理解されるようになっていった。そして、治療にあたる医師たちの間では、精神分析が次第に強く支持されていくことになる。
タナトスの探求へ
フロイトは1910年にすでに『夢判断』を刊行し、神経症患者の治療法としての精神分析を完成させていた。彼によれば、夢とは、無意識の中にある本来の欲望が抑圧された形で現れるものであり、神経症の治療は、患者に夢を語らせることで、その欲望を自覚させることにあった。
しかし、戦争による外傷性神経症は、抑圧された無意識の欲望に起因するものではないことは明らかだった。フロイトは、電気ショック療法が効果を持たないことを理解していたが、精神分析によってこの問題に対処するには、新たな理論の構築が必要であることを認めざるを得なかった。
ここから、フロイトの後期思想が始まる。すなわち、生への欲動であるエロスに対し、それとは対をなす死への欲動としてのタナトスの存在を認めること、そして、世界大戦という未曾有の人的災害をもたらした西欧文明を、精神分析の手法を用いて根本から検証しようとする試みである。
戦争と文明の二面性
『人はなぜ戦争をするのか』は、1932年、国際連盟(国連の前身)の呼びかけにより、アインシュタインとの公開往復書簡という形式で執筆されたものである。
この時期、フロイトはすでに「死への欲動(タナトス)」の存在を理論的に認めていた。第一次世界大戦は、まさにこのタナトスの存在を如実に示した出来事であった。そして本書におけるフロイトの結論は、非常に悲観的なものである。彼は、文明の発展が必ずしも人類の進歩を意味しないこと、人間の根源的な攻撃性、そして戦争を完全に根絶することは不可能であることを指摘している。
しかし一方で、文明の進歩は、戦争を美的な観点から拒絶する反戦論者を生み出す可能性をも秘めているとフロイトは述べる。
彼によれば、文明の進歩には二つの特徴がある。一つは欲動を制御するようになること、もう一つはその欲動が主体の内部に向かうようになることである。この点に関するフロイトの説明はやや曖昧だが、彼が言わんとしているのは、内面化された攻撃性が自己の中に取り込まれることで、戦争に対して生理的な嫌悪感を抱く人々——すなわち、真の意味での平和主義者が生まれてくる、ということであろう。
そしてフロイトは最後に、このような平和主義者が社会の主流となる時を、われわれは気長に待たなければならない、と述べてこの書簡を締めくくっている。
現在においても、人類は愚かにもなお戦争を続けている。フロイトが期待したような平和主義者が世界の主流となる日は、残念ながらまだ遠いようである。
フロイト『人はなぜ戦争をするのか』光文社古典新訳文庫 (2008)
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