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「和歌の前の平等」古代日本人の精神世界 – 渡部昇一『日本語のこころ』(1974)

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渡部昇一『日本語のこころ』(1974)

漢語から大和言葉へ

 ところでヴァイキングにしろアングロ・サクソンにしろ、古代のゲルマン人はキリスト教がくる前は共通の信仰をもっていた。それは死者の魂は北の海にもどって、また生まれてくる機会を待つというのであった。したがって「魂」を意味するゲルマン語は「海」からの派生語である。古ゲルマン語 saiwaz(海、湖)から、「……に帰属するもの」を示す接尾語 -lo をつけて、「海に属するもの」ということで saiwalo(魂)という語を作った。これがゴート語 saiwala、ドイツ語 Seele、古英語 Sawol、現代英語 soul というふうになったのである。つまりゲルマン人にとっては海は魂のふるさとという遠い遠い記憶がある。

179p

 どんな言語にも古くから使われ続けた土着の言葉、つまり「在来語」と他言語から流入した「外来語」の区分がある。この出自の異なる二つの語彙群は、意識的、無意識的に話者に影響を与え、表現に多様性を与えている。

 渡部昇一氏は、英語史の専門家で、英語の歴史を研究する中で、この二つの語彙群が持つ表現効果の違いを意識するようになったという。

 日本語では、特に心情の変化において、この語彙群の使い分けが生じている。渡部氏は、日本語に存在する「在来語」すなわち「大和言葉」が持つ内向的、内省的な性格を指摘している。日本語のそのような特徴は、文学の分野、特に「詩歌」において顕著に見て取ることができる。

 たとえば、本書の冒頭で、ビリー・バンバンの『白いブランコ』の歌詞が紹介されている。この曲は、1969年の発表。この歌詞の中で用いられている言葉は、ブランコを除けば、すべて日本古来からの言葉、すなわち大和言葉だ。渡部氏は1930年生まれ、戦中派と言われた、いわゆる昭和一桁世代だ。氏が中学生時代の戦時中、民族意識を鼓舞するために使われた言葉は、そのほとんどが漢語だった。

 たとえば、戦前、世間一般に広く知られた旧制第一高等学校の寮歌の歌詞は、次のようなものだ。

嗚呼(ああ) 玉杯に花うけて
緑酒に月の影宿し
治安の夢に耽りたる
栄華の巷低く見て
向ケ岡にそそり立つ
五寮の健児 意気高し

 旧制一高といえば、当時のエリート中のエリートだ。当時の一高生たちが、この寮歌を放吟する時、どれだけ誇り高く野心に燃えていたか、容易に想像できるだろう。そして、その他の多くの学生たちもこの寮歌をあこがれを持って歌っていたのだ。

 戦時中流行した『愛国行進曲』もまた漢語に満ちている。

見よ 東海の空明けて
旭日高く輝けば
天地の正気 溌剌と
希望は躍る 大八洲
おお 清朗の朝雲に
聳ゆる富士の姿こそ
金甌無缺揺ぎなき
我が日本の誇なれ

 戦時中の多感な時期に漢語まみれのこのような曲を多く聞いた渡部氏にとっては、戦後の流行歌における言葉の使われ方の急激な変化は、言語というものを考える上で非常に大きな示唆を与えるものだったのだろう。時代への意識の変化が言葉の使われ方に如実にあらわれている。

 だが、戦前の歌がすべて漢語だらけのものだったわけではない。戦時中においても自分の内面や感情を素直に吐露する際は、自然と大和言葉のみの歌を歌ったのだという。

山の寂しい湖に
一人来たのも悲しい心
胸の痛みに耐えかねて
昨日の夢と 焚き捨てる
古い手紙の薄煙

 これは、『湖畔の宿』という曲の歌詞で、戦時中、ごく普通の青年たちの間で広く歌われたものらしい。「国のため」戦地へと赴いた若者たちも表では『愛国行進曲』を歌っても、自分の心に寄り添う歌は、大和言葉のみで歌われた曲を口ずさんだのだ。

 戦後に流行した多くのフォークソングからは漢語が消え、大和言葉が中心になった。積極的な対外政策に打って出て、国威発揚をしていた時代には漢語が多く使われ、戦後、人権が重視され、自分の人生を第一として考えるような時代に変わってからは大和言葉が多く使われるようになった。
 このような流行歌の変遷を見ても、日本人が大和言葉と外来語を明確に使い分けていることがはっきりと窺える。心情が内面を向いているときは大和言葉を、外向的なときは外来語を用いているのだ。

在来語と外来語 – その本質的な違いと使い分け

 在来語と外来語には、日本の詩歌にみられるように、このような明確な使い分けがある。では、この二つ語彙群の根本的な違いとは何だろうか?

 辞書編纂作業に携わる人にとって、外来語と在来語とでは、定義を作る難しさが全く違うのだという。
 外来語は、その意味するとことが一義的に決まるものが多い。それは、外来語の歴史が浅く、言葉の意味の外延に広がりがないためだ。語義が明確なため、比較的容易に定義を定めることができるらしい。
 だが、古来より使われている在来語は、核となる意味を中心に、幅広い含みを持っている。それは長い歴史の中でその意味が徐々に変遷し、多くの含意を持つに至っているからだ。さらに、言葉同士が有機的なつながりを形作っていて、そこから多くの派生形を生んでいる。そのため、一筋縄では語義を説明することができないらしい。歴史に深く根付いている言葉ほど、その意味に広がりと含みがあって、定義が難しい。在来語は本質的に多義的なのだ。

 一つの言語の中に、このような全く性格の違う語彙群が、明確に区分されて存在している場合、その語彙の選択は様々な場面で大きな意味を持って現れてくる。

 先にみたように、日本語における在来語、すなわち大和言葉と外来語の使い分けは、心情の在り方、心の状態の差を表していた。だが、この二つの語彙体系には、心情の違い以外にさらに本質的な使い分けがある。

 それは、外来語は公式の場で、在来語は私的な場で使われるといった傾向だ。この特徴は、文明の中心から離れた周辺地域の言語に特に顕著に現れている。
 たとえば、ローマ・カトリック文明の周辺言語であった英語や中華文明の影響下にあった日本語は、その傾向が明確だ。英語では、学術用語や専門用語は、そのほとんどがラテン語やフランス語が由来になっている。日本語でも、公式な文書ほど、漢語や英語が多用されている。英語も日本語も在来語と外来語に対する区分の意識が比較的はっきりとしていて、場面や状況の違いに応じてこの二つの語彙群の使い分けがある。

意味を伝えるための言葉、自己を表現するための言葉

 この二つの語彙群の使い分けはそもそもなぜ生じるのだろう。それは、言葉の表現のより本質的な部分に関わっている。人が言葉を用いる本質的な理由から考えてみよう。

 言語の本質的な役割を考えた際、それは主に二つ上げられるだろう。一つは「意味の伝達」であり、もう一つが「自己表現」だ。
 意味を伝えるということを言語の第一の役割と考えた場合、その表現は意味や論理が明確なものでなくてはならない。この時の言葉は外向きだ。言葉の機微や解釈の多様さ、意味の微細な差を許す表現は、ここでは忌避される。したがって、論理的、知的な作業を要する場面では、外来語が多く使われる傾向がある。

 一方、言語の役割を自分自身の精神性の表現、つまり自己表現だとした場合、言語は自己を表すものそのものとなるはずだ。自己の意識というのは、実は言語によって形作られている。言語と自己意識の間には深い関わりがある。つまり、言語は自己同一性(identity)の形成の基盤となっている。
 この時の言葉は自分自身と向き合うためのもので、内面を向いている。そのようなときは、やはり歴史のある在来語が多く用いられる。

 歴史に「根を深く張っている」在来語は、人々の間で多様な用いられ方をしてきた。個人一人ひとりの微細な心情や思いの違いが深く込められてきた長い歴史を持っている。在来語は民族意識の長い歴史に根付いている。言葉自体が民族の精神性の表現そのものとなっているのだと言っていいだろう。
 そして、言葉が自己の意識や自我の形成に関わっているとすれば、その言葉の意味は、自分個人の感情や精神性の表現そのものとも同義となってしまう。そのため、論理的には表現できないさまざまな含意を持つことになる。

 これが、詩や文学が翻訳不可能と言われるゆえんだろう。 
 詩や文学を本当に理解しようと思うならば、使われたその言葉で理解するしかないものだろう。詩歌の中で謡われた大和言葉は、翻訳すればその精神性は失われてしまう。そのまま大和言葉として理解するしかない。
 だからこそ、詩歌の中で使われた言葉が、古来からの在来語か比較的新しい外来語か、という違いは、その文学性を理解する上で極めて重要なことになってくるのだ。

和歌の前の平等

 言葉の芸術である文学、特に詩は、言葉の意味や使い分けに非常に先鋭的な意識を向けなくてはならない。すぐれた作品ほど言葉の使い分けを巧みに行っている。

 渡部氏は、日本の伝統的な言語芸術である和歌には、古来より用いられた土着の言葉である大和言葉のみを用いるという原則があったことを紹介している。

 そして、ここからが本書の非常に面白いところなのだが、なぜこのような原則があったのかということに関して、氏独自の解釈を示している。それが、「和歌の前での平等」という観念だ。

 和歌という作品の前では、身分、男女、人種、貧富、その他、一切の区分が問われなくなるという。
 これは平安時代には広く一般的に行き渡っていた考え方で、『万葉集』と『古今和歌集』はまさにその精神性の上で作られている。

 和歌は単なる文芸作品ではない。古代の日本では、和歌は自然や神といった人為を超えたものに働きかける力があると信じられていた。これを言霊思想という。

 神への祈りとは、神との対話(communication)である。そして、対話とは、互いの独立した主体を認めて、意思の疎通を試みる行いだ。世界の主要宗教はこのような考え方を前提としている。キリスト教もイスラム教も、神の意志は人がはかり知ることはできないという考えを基礎としているが、それも「神との対話」という概念があるからこそ、不可知論が生まれるのである。
 だが、一方の日本では、言葉に対話の役割をほとんど認めていない。言葉そのものが持つ霊験それ自体を信仰しているのだ。この言葉の持つ霊験を端的に表現したものが和歌なのである。

 したがって、和歌は表現が短文形式へと向かった。対話の必要性がなく、言葉の持つ霊験を端的に示すためには、表現が短いほどよくなる。そして、優れた和歌の評価基準とは、その和歌が現実の事態をいかに作者の望む方向へと変えていくことができたかどうかということで判断される。言霊に対する信仰を前提とし、和歌が詠まれた状況や場面を含んだ世界観の全体が、良い歌かどうかを判断する基準だったのだ。

 本書では、さまざまな和歌や歴史的出来事から、このような「信仰」が和歌に対してあったことを例証している。このような事実は、西欧の文学理論をただ模倣しているだけの多くの現代の「大学教授(学者ではない)」からは見過ごされている。

 人は超自然的なものを前にしたとき、自分の存在の小ささ、無力さを実感する。それが宗教的な精神の核にある。古代の日本において言霊が信仰の対象であり、和歌がその表現方法だとしたら、和歌は人々が神や自然といった人為を超えた存在とつながることのできる一つの手段だったはずだ。だとすれば、和歌はすべての人に平等に開かれているものでなければならない。神の前では、人の社会が作り出した身分や貧富といった区分など、一切意味を持たないからだ。
 そして、和歌で用いられる言葉は、自己の精神性を表現したもの、内面性を表出させたものでなくてはならない。和歌で外来語が排除されたのは当然のことだった。現代の偏狭な国粋主義的な考え方とは全く違う、古代の言語観念がそこには窺われる。

 和歌の前の平等―――

 これは近代的な民主主義とも人権思想とも違うが、古代日本流の人間主義(humanity)のひとつだったと言えるのではないだろうか。このような観念が古代日本にあったということは、誇るべきことだ。
 そして、このような言霊に対する観念は、今でも陰に陽に日本人の精神性に影響を与え続けている。世界でも非常に奇妙で独特な日本人の宗教観や信仰心を考える上で、本書で描かれている「日本語のこころ」は、非常に参考になるだろう。

追記

 この本は、おそらく、渡部氏が書いた最初の日本語論ではないかと思う(調べたわけではないが、著者あとがきと発行年から推察して、たぶん最初)。論客家として非常な著名人なため、大量の著作があり(おそらく、出版社からの依頼が絶えないのだろうか?)、中には本書と類似の主題を扱ったものも何冊かある。内容も一部重複している。
 だが、やはり最初(あるいは最初期)に書いたものは、著者の伝えたい内容が非常に端的にまとめられていて、読みやすい。著者の熱意もひしひしと伝わってくる。類似の本も確かにあるのだが、個人的にはやはり本書をおススメする。電子化でも構わないので、ぜひ復刻を期待したい。


改訂版(?)
同様の主題で新たに書き直されています。