加賀野井秀一『日本語の復権』(1999)
表現能力が衰退し、形骸化する日本語
1999年刊行。
日本語から見る日本人論。
今の日本には空疎で中身のない言葉が溢れている――
街路で無闇に流される宣伝・注意放送の騒音、紋切り型で形式的な挨拶文、コンビニなどのマニュアル敬語、対人面では全く無口で能面のようなコミュニケーション、などなど。。。
言葉が形骸化し、内実を失った表現が巷に氾濫するようになった。言葉の形骸化が、現代の日本語にまつわる言語文化の貧困を生んでいるのではないか?
著者はそのように問う。
日本語による表現は、極度に相手の察する能力に依存していて、話者の表現能力の衰退を招いている。その結果が、巷に溢れる紋切り型の言葉なのではないか――
確かに日本語の表現は、形式ばかりが発達して内実を忘れがちだ。
著者はこの日本人の形式主義を、日本人の対話能力、表現能力を根本から問い直すことで、見直そうとしている。本書は、日本語の表現力から、ひいては日本人のコミュニケーション能力までを改めて考え直すための「日本語論」だ。
日本語の表現能力
著者は、日本人のコミュニケーションの問題をまず、「記号化」と「記号操作」という対立軸から捉えていく。
記号化とは、言語主体が直接、世界と関わって自分自身でそれを記号化する行為をいう。これは、創造の表現行為といえる。一方の記号操作は、すでに既成の意味が与えられている世界で、その社会的な約束事や文脈を理解し、その操作に習熟していく行為であり、こちらは応用の表現行為といえる。
前者は説得の文化であり、自分とは異質な考えの人たちにどうやって明確な意図や意思を伝えるかということに力点が置かれている。論理的な表現、デノテーション(言葉の本来の意味)、言葉の冗長性などが重視される。一方、後者は、察知の文化で、相手の理解力に依存する形で、コノテーション(言外の意味)を発展させ、そのやり取りに習熟していくことに価値が置かれている。歴史の中で蓄積されたその言外の意味を洗練させていくことに文化的な価値がある。そこでは、論理や冗長性などはかえって敬遠される。
言うまでもなく、この分類は、西欧と日本を対比した上で、前者を西欧の言語の、後者を日本語の特徴として描いている。
日本は、察知能力が肥大化して、コノテーションの豊富さを誇る文化を作り上げたが、その結果、日本語はあいまいな表現が多くなった。そして、相手の察知能力に依存した示唆だけを中心にした過小な表現力のみでコミュニケーションを行っている。著者は、このような日本語を、相手へ明確に意思を伝えようとする努力を放棄した「甘やかされた」状態にある、と批判している。
著者はこれを日本語の問題として議論を展開しているが、私はこれは単にコミュニケーションのあり方の問題だと思う。日本語の問題として捉えているために、議論がどこかで聞いたことがあるようなありがちな日本文化論に傾いている感がある。
著者は、察知の文化という観点から日本の芸術、文化の歴史を論じているが、たとえば、西欧の絵画においても象徴iconが多用されていて、これも記号操作の洗練と呼べるものだ。
本来、日本人のコミュニケーションがどのようなものであるべきか、という観点から論じるべきだったところを日本の歴史や文化の話などを中心にすえてしまったため、コミュニケーションの問題と日本人論が区別されずに、こじつけ的な解釈になっているようで、かえって説得力をなくしているように感じる。
次回へ期待
本書は、著者が日本語論を展開した第一作目ということらしいが、そのためか、内容を盛り込みすぎて消化し切れていない感がある。(ほぼ同様の論旨を後に『日本語を叱る!』という著書でも展開しているが、そちらの方が論点がはっきりとし、日本語が抱えている問題をきれいにまとめてあって、はるかに読みやすい。)
しかし、日本語が甘やかされた状態にあり、日本人の表現の力の衰退を招いているという指摘は、全くそのとおりで、特に日本語が察知能力に依存するために、表現能力が疎かにされている、という批判は傾聴に値するものだ。
日本語の表現能力が衰退していったその結果、表現の形骸化と冗長性の低減を招いている。言葉の形式化と冗長性の低減は、一方で、巷にあふれる宣伝放送や看板の氾濫といった言葉の洪水を生み、そのまた一方で、社会生活上の対人面で極度な無口、コミュニケーション不足を生んでいる。街中では、宣伝や放送は非常識なほどうるさいのに、人々は挨拶すら交わさないという、海外生活を経験したことのある人であれば一度は感じるであろう、日本の奇妙な姿を非常にうまく説明していると思う。
論点や着眼点は非常に面白いので読む価値はあると思う。興味が湧いたら、著者の他の著作、特に『日本語を叱る!』の方が分かりやすいので、そちらを読んでみる事をおススメする。
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