ホラティウス

詩人としての生き方 – ホラティウス『詩論』(18 BC?)

ホラティウス

 ミネルウァの意に添わないなら、あなたは語ることもつくることもいっさいできないだろう。これこそあなたの判断であり、良識である。けれども、将来あなたが何かを書いたなら、まずそれを批評家のマエキウスと父上と私に読んで聞かせてから、原稿を家の奥深くしまい、九年目まで待つこと。まだ発表していないものは破り捨てることができるが、言葉はいったん放たれるとあと戻りができない。

 出版社の意に添わないなら、あなたは書くことも語ることも、いっさいできないだろう。これこそ出版社の判断であり、良識である。けれども、出版社が拝金主義に陥って、大した推敲も校正もないまま、大量の本を世間に出回らせたいなら、本の質は落ちて、書物の価値は、失われていく一方だ。9年ぐらいは、推敲と校正に時間をかけること。
 最近は、中身のない安易な出版物がホント増えた(毎年、年間8万冊以上の新刊が出版されている!)。近年では、なお悪いことに、blogなんてものまである!有象無象の輩が、日々駄文を量産しているのだっ!(誰も読まない書評なんて書いているヤツまでいる!)Blogはいったん書かれると、あと戻りができない。黒歴史として、永久に電子世界に残り続けるのだ。


 ホラティウスは、ラテン文学黄金期を代表する、紀元前1世紀の古代ローマの詩人。
 『詩論』として知られる彼の著作は、もともと書簡形式をとった詩だったと考えられている。

 彼は、この著作の中で詩人としての生き方や心構えを、皮肉やhumorに溢れた諧謔的な文章で謡っている。
 『詩論』(Ars poetica)という題とはうらはらに、詩作の技術や論評に関する議論はなく、ただ、詩人としての生き方を若い詩人たちに向けて説いている。(詩論はホラティウスの晩年に書かれたと考えられている。)
 現代風に言えば、aphorism的な形式で、簡素で都市から離れた平穏な生活、節制のある生き方などを皮肉とも冗談ともつかない文章で綴っていく。

 岩波文庫版では、アリストテレスの『詩学』と一冊にまとめられているが、『詩学』とは、時代も性格も全く異なる作品だ。
 ホラティウスの『詩論』はそれ自体、「詩」であって、評論や論評の類いではない。警句や皮肉の多い、ずいぶんと気ままな文章なので、自分の気に入りそうな文章を探しつつ、気楽に読むのがよいと思う。