本とメガネ

何が理性の働きを阻害するのか? – ジョン・ロック『知性の正しい導き方』(1706)

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ジョン・ロック『知性の正しい導き方』(1706)

知性が陥る欠陥

 イギリス経験論の祖、ジョン・ロックが一般読者向けに執筆した作品。
 1697年から執筆されたようだが、生前には出版されることがなく、1706年に出された遺稿集の中に収められた。そのため、推敲を経ない未完の作品となっている。
 1741年に『知性の正しい導き方』と題して、単独で出版されて以降、西欧各国で幅広く読まれるようになった。

 イギリス経験論は、仮説の提示と実験によるその検証という現代の科学の基礎となる考え方を準備した思想だ。300年以上前に書かれた文章でありながら、ここでロックが述べている知性のあり方は、非常に現代的だ。

 人々はなぜ誤った観念を持つのか―――
 確かな知識を持つために、ロックは経験と推論に基づいて正しく理性を用いることの重要性を説く。知性が陥りやすい過ちを指摘し、その過ちを修正するための方法論を分かりやすく説明している。

知識人の持つ知性の誤り

 ロックは、知識人の持つ知性が陥る欠陥と、大衆の知性が陥る誤りの型は、別のものとして捉えていた。

 ロックがまず、学術的文脈において、知性の陥りやすい欠陥として見做したものは、知識階級が大学で議論しているようなスコラ的な討論方法だった。
 当時の学問は、用語の概念や意味を徹底的に分析し(topical argument)、その上で、弁証法的にその用語の矛盾を解消させる手法が一般的であった。しかし、こうした手法は、知識そのもの正しさを問うのではなく、論争においていかに説得的であるかどうかだけを競うものとなってしまう。

 スコラ的学問は、伝統的に議論されてきた既存の概念からすべての考察がはじまる。だが、経験論的立場をとるロックは、生得的な概念を一掃し、経験から得た概念のみをすべての出発点とする。

 経験という裏付けを得た確実な知識から出発し、それを土台として、数学的な厳密な推論によって、他の心の中の諸観念との結合と依存を論証していかなければならないとする。
 ロックは『人間知性論』において、知識がどのようにして確実性を確保できるのか、知性の限界を考察していた。このような認識論の原点にまで到達していた彼にとって、スコラ的学問は、ただの論争のための技術にしか見えなかったのは当然のことだった。

 しかし、ここで注意しなければならないことは、ロックは知性の限界を論じていて、必ずしも知性が真理へとたどり着くものだとは想定していないということだ。
 ロックは、論証された真理と、蓋然的な事実とを明確に分けている。その上で、推論という知性の正しい方法が必要とされるのは、むしろ後者の蓋然的事実に関わる部分だ。

 真理が一つの論証によって明らかにされる場合、更なる探究は不必要です。しかし、真理を疑いの余地なく確立する論証を欠いた蓋然性の問題においては、一つの議論をその源泉にまで遡ってその強さと弱さを観察するだけでは不十分です。あらゆる議論の強さと弱さをそのやり方で検討した後で、それらを相互に対峙させて比較衡量せねばなりません。そして知性は全体を見渡して、自ら何に同意するのかを決定することになります。

 我々が普段、遭遇する出来事は、そのほとんどが蓋然的な事実だ。それは直観的認識や純粋理性で真実にたどり着くことはできない。経験的観察を土台とした上で、推論を重ねること。直接観察できないものは中間概念を用いて経験的裏付けが得られるまで論証を続けること。このようにして、理性を健全に働かせることがロックにとって、知性を最も正しく導く方法だった。

大衆の知性の誤り

 ロックは、この著作を大学の知識階級に向けて書いたのではなかった。普段、日常の仕事をし、十分な思索のための時間がなくとも、それでも、生活をより良くするために正しい知性を獲得しようとする人たちに向けて書いた。

 このような一般の人々が陥りやすい知性の欠陥は、知識階級とはまた別のものだった。
 それは、党派性、および宗派性だった。それは時に、偏愛や狂信に結びつくもので、理性の健全な働きを阻害する。

 ロックは、この党派性を脱し、知性の自主独立を説く。

 私がここで提案している不偏不党性を保持していれば、人々は自分が疑いを持っている問いを正しく述べることができるようになります。これなしには、その問題に関する公平で明快な解決に決してたどり着くことはできません。

 さらに次のように述べる。

 この不偏不党性から、また私たち自身の意見あるいは他人の考えや言説から切り離して行われる事物そのものの考察から、もう一つの成果が生じます。すなわち、各人は、事物の本性やその本性が自分に示していると思うものに最もふさわしい方法で、自分の思考をするようになります。

 ロックは、人々が理性の正しい用い方を学ぶことで、最終的には個々人が知性の独立独歩を実現できるように目指したのだと言っていい。
 ロックは、この著作で、知性の自主独立のために人々が実践すべき、習慣や心構えなどを細かく説いていく。特に、実践や訓練を重視しているところが非常に現代的だ。

知性の自主独立

 個々人の努力による自主独立という考えは、ロックの社会思想にも通ずるものだ。ロックの社会思想は、現代の自由社会の基礎となっている。
 知性についての考え方も、自由と自主独立がその根底にはある。ロックが本書で示した方法論は、現代でも十分通用するもので、今読んでも非常に示唆に富む。先住民に対する偏見など時代的な限界を一部感じるところもあるが、それを差し引いてもロックの「知性の独立」は、現代においても重要な意義を保ち続けている。

 情報過多で、ネット上の偏向情報ばかりに触れて、党派的に分裂しやすいのはむしろ現代の方かもしれない。掲示板やSNSでの議論は、自分の都合の良い意見ばかりを取捨選択して、共感し合う者たちだけで群れる。知性の自主独立とは、程遠い姿だ。その点では、今の情報社会においてこそ本書の価値は増していると言っていいだろう。掲示板やSNSの議論にウンザリした方、ぜひ一読を。