【科学思想史】臨床医学の始まり

機械論と臨床医学

 17世紀の科学革命は、自然から「神の意志」を排除して、自然そのものの運動と変化を純粋に観察する視点をもたらした。自然は意志を持つのではなく、機械と同じように物理的な法則のみに従っている。16世紀中葉からの天文学と物理学の著しい進歩がこのような考え方を基礎づけていった。この結果、生じた世界像は機械論的自然観と呼ばれる。この世界観は、17世紀以降の科学的知性の基盤ともいうべきものであった。

 だが、医療や医学の領域に関しては、その領域の性質上、天文学や物理学の領域に比べ、機械論が支配的な見方となるのが遅かった。身体は複雑な要因の集合であり、因果関係の不明な複雑系を形成している。機械論的解釈が単純に当てはまる現象はほとんどなかったと言ってよい。その中で、1628年に発表されたハーヴェイの血液循環論は、機械論の顕著な達成であり、近代生理学の第一歩であったが、病理学に至るまではまだ距離があった。

 医療と機械論との間にあるこのような空隙を満たすために登場したのが臨床医学である。1676年、イギリスのトマス・シデナムが発表した『医学観察』がその発端となった。彼は、診察における症候の観察を最も重視すべきと説いた。それは、経験主義的な方法に基づいて医療の技術を組織化しようとするものであった。
 彼を契機として17世紀以降、臨床医学が進展するのである。

病理学の登場

 19世紀の末になると、科学的医学の諸分野でさまざまな発見がもたらされるようになる。臨床医学もその発展にともなって、新しい展開を遂げることになる。
 19世紀、近代医学の発展上、最も重要な出来事は、病理細菌学の登場である。細菌学は、細菌の発見に基づき、特定病因説、局在病理説を主張した。それらが医学全体に与えた衝撃は大きかった。病理細菌学は、いろいろな微生物の発見によって多くの病気について明快に病因を示し、病理学に初めて科学的な因果関係を導入した。

 この特定病因説を決定づけたのは、1881年にL・パストゥールによって行われたワクチン投与の公開実験である。この実験において、弱毒化した炭疽菌を羊に投与することで、その羊を炭疽病の感染から救うことに成功した。これによって、弱毒化した微生物を接種することで免疫を得ることができるということを証明したのである。免疫という概念が初めて実証されたのである。
 さらにR・コッホが、炭疽菌、結核菌とコレラ菌を発見し、ここに近代細菌学の基礎が築かれた。そしてP・エールリッヒが、抗毒素の研究によって、特定の病原体だけを破壊する科学物質を抗体として取り出すことに成功して、病原菌に対する化学療法も始められることになった。

 急性伝染病のような疾患の場合、外来の病因が存在することは臨床から得られる明確な事実であり、病状は一定の順序を踏んで経過するから、病気を一つの因果論(機械論)的な機構を持つ過程として捉える事が出来たのである。

 だが、この病理学も次第にその限界が明らかとなっていった。特定の病原細菌に感染しても必ずしも発病しない事例が多く存在することをはじめ、ある種の疾病には画期的な有効性を発揮するワクチン投与も、他の病原細菌には効果がないなど、その有効範囲が限られていることも知られるようになっていった。
 その結果、伝統的な臨床医学に関係を持つ体質病理学が改めて注目されることになった。この場合、感染病は外部からの刺激と患者の側の素因の関数として、つまり、個人の体質の問題として扱われるようになった。この体質(constitution)とは、固体にかかわる概念であり、局在的な病理観では説明しにくい疾患を説明する際に用いられている。

 病理学は一方で、その発展ゆえに新たな問題を引き起こすことにもなった。特定病因説の最大の問題は、この説に基づく治療法が、抗生物質の多用投与につながり、その結果、耐性菌を生み、合併症を発生させるようになったことである。さらには人体にとって有用な微生物も病原体とともに排除してしまった結果、人間と人間に住みつく微生物との間の均衡を破壊してしまった。

 現代の医学は、機械論的身体観だけでは対処できないさまざまな問題に直面することになった。現在では、病理学の進歩には、機械論的身体観だけでなく、生態学的観点からの知見が必要だと見直され始めている。

参考図書

中村雄二郎『臨床の知とは何か』(1992)