ローマ

覇権主義と市民概念の崩壊 – 弓削達『ローマはなぜ滅んだか』(1989)

ローマ

弓削達『ローマはなぜ滅んだか』(1989)

 人類史上初の世界帝国ローマは、いかにして滅んだか―――

 これは、人類史の中で最も魅力ある主題のひとつだろう。本書は、そうした問いに、ローマ繁栄の裏にある経済や社会構造の歪みなどに焦点を当ることで答えようとしたものだ。

カルタゴとの覇権争い

 ローマの繁栄とその崩壊を考えるとき、本書の冒頭で紹介されている逸話は、非常に示唆的だ。

 ローマがまだ帝国として地中海世界に覇権を握る以前、都市国家の時代に、地中海で勢力を誇っていたのは、カルタゴだった。
 カルタゴは、現在のチュニジア共和国のチュニスに、フェニキア人が建てた小さな植民市に過ぎなかった。そのカルタゴが大商船隊を擁して、西地中海全域に商館と植民地を張り巡らせ、商業によって、地中海に覇を唱えたのだ。しかもカルタゴは、当時としては異例なことに、国民軍を持つことがなかった。当時の都市国家は、そのほとんどが市民皆兵で、国民軍を擁していた時代だ。

 都市国家として台頭したローマは、強大な軍事力によって、周辺の都市国家を征服し、従属させていた。ローマの進展は、必然的に、地中海の覇権をめぐってカルタゴと争うことになった。

ローマの覇権主義

 前149年、ローマ軍によってカルタゴとの三度目の戦いが行われた(第三次ポエニ戦争)。それは、ローマ軍によるカルタゴの殲滅戦の様相を呈するものとなる。強大な軍事力を背景に聖戦を主張するローマと独立と自由な経済活動の存続を求めたカルタゴの最終戦争だった。
 この戦いでカルタゴは戦いに敗れ、ローマ軍によって滅ぼされた。このとき、ローマ軍は、カルタゴへの報復として、全市民への徹底的な虐殺と都市の完全な破壊を行った。

 ローマは、すでに帝国より以前の都市国家の時代に、軍事力を背景とした覇権主義的性格を現していた。カルタゴの無残な破壊と残虐を目の当たりにしたローマ軍の司令官である小スキピオは、「いつの日かローマも同じ運命に逢うであろう」という言葉を残している。

 そして、ローマは、その覇権主義的性格をより露にし、帝国として発展していく。だが、軍事力を背景にローマ帝国が領域を拡大するにつれ、市民の概念は曖昧になり、市民皆兵による国民軍は維持できなくなっていった。
 その巨大な領域を国民軍に代わって維持していたのが、傭兵たちだ。その状況下で、ローマ帝国は、傭兵のオドアケルによって滅ぼされた。強大な軍事力で覇権を握ったローマ帝国は、その覇権主義によって、自ら軍事力が維持できなくなったときに滅んだのだった。

雑学的歴史入門

 ローマはなぜ滅んだか―――

 この人類史の壮大な問いに答えるには、本書のような小冊子では、あまりに荷が重過ぎるのは明らかだ。本書は、この問いに答えるための本というよりは、社会的背景や経済的要因をさぐりつつ、滅亡へと関わるさまざまな逸話を寄せ集めた作品といった感じだ。
 だが、興味の尽きない主題で、雑学を仕入れるような気分で、気楽に読み進めることができる。歴史ロマンを感じさせる一冊。